平素よりお世話になっております。保護者の皆様、OBG、関係者の皆様、体育会ラクロス部男子への多大なるご支援・ご応援を賜り、誠にありがとうございます。
今年は、私たちの至らない点により多くのご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。それにも関わらず、体育会ラクロス部男子のためにご尽力いただきましたことに、深く感謝しております。
改めて、体育会ラクロス部が成り立つためには、皆様のご支援が不可欠であることを身に沁みて感じております。来年は、吉田、島本を中心とした新しい代が、強い関学を取り戻すべく、全力で取り組んでまいりますので、引き続き変わらぬご支援とご応援を賜りますようお願い申し上げます。
ALLINチームを締めくくる一回生チームのウィンターカップが、
11/30(土)@鶴見緑地スタジアム
で行われます。個性豊かな一回生チームとコーチをしている同期の中西、森口、木下が躍動します。
応援のほどよろしくお願いいたします。
本年度体育会ラクロス部男子主務を務めました。興梠克基です。
まず、ブログを担当してくれたはるきを紹介します。彼を一言で表すなら「ハンドル」です。常に企画を発案し、他の人と違うやり方で物事を進める彼は、まるで車のハンドルのように僕たちの進行方向を決め、導いてくれます。
タイやトルコへの旅行でも、自由奔放な僕らの中で唯一しっかり計画を進めてくれる存在です。夏に行った学年旅行でも、BBQの火を起こすために誰よりも一生懸命うちわを扇いでくれました。「ほらめちゃ火がついた!」と嬉しそうに笑う彼の無邪気な笑顔が、僕はとても好きです。窮地に陥った時に出るガンギマリはるきも好きだよ。
そんな彼は僕と同じ高等部生なのですが、実はラクロス部に入ってから仲良くなりました。まだまだこれからも面白いことして遊ぼうな。
"無念"
ラクロス人生を通して最後に抱く感情を選ぶならこの言葉になる。
入部から今に至るまでの自分を赤裸々に書きたいと思います。長くて拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
※書き出したら余裕で7000字超えました。省略しよかな思ったんですけど全て曝け出してやろうと思ったのでそのままにしてます。ご容赦ください。
これが嘘偽りのない僕のリアルです。
---1回生---
初めてラクロスを知ったのは高校卒業間近の頃。大して強くもないバレー部の主将として不完全燃焼で終わった僕は、「大学こそは仲間と熱く燃え尽きる経験がしたい!」この一心でやること探してた。
高校での部活動の記憶は正直辛いものばかりだった。同期が少なく、熱量低い人たちばかりだったので、
・同期が多い
・熱量高い
この2つが大学のコミュニティ選びでの必須条件だった。
そしたら人が熱そうなラクロス部を見つけた。日本一を目指したかったわけではない。同じ志を持って熱くなれる仲間が欲しかった。
ひがくしの体験会行ったらめっちゃ真っ黒でイケイケな先輩たちがラクロスしてた。当時のproof世代のかっこよさは半端なかった。僕らの代の共通の憧れだと思う。
先輩に、絶対ラクロス部入るって宣言するんやったらこのクロスあげるわと言われた。
即答で入ります宣言したのを覚えてる。
そして始めるのが早かったはるきに教わって、ちーば、かずしらと今では幻の門戸壁で初壁したのが全てのスタート。
一回生の頃はラクロスへのワクワク感がとまらなかった。近くの生瀬や売布壁ではなく、少し離れたくぐりさんに壁打ち教わりに原付飛ばしたり、次の日雨で練習なくなると思い込んで壁でオールみたいなことしたら練習あって寝不足で行ったこともあった。常にクロスと原付で宝塚〜西宮間走り回ってるラクロッサーやった。
正直、全然上手くならなかったけど、自分は同期と比べて運動神経大してよくない自覚はあったから遅咲きタイプやと思うことで気持ち落とさず練習できた。
一回生ウィンターカップ。決勝戦の出場時間は1分もなかった。めっちゃ悔しかった。みんなはしゃいで喜ぶ中、心から喜べなかったのが特に悔しかった。ゴール裏からトボトボとみんなが喜びあってる輪に向かったことを今でも鮮明に覚えてる。
オフシーズンも変わらず壁にめっちゃ行った。生瀬壁にゴールの大きさを印したテープ貼って、まくりの練習もした。ウィンター優勝で満足してる人が多いけど自分は違うんだと言い聞かせて。
---2回生---
2回生で巻き返すと意気込んだものの、急激な成長はなかった。
ほんとにジワジワとしか成長を感じれなかった。
一回生の時以来、「運動神経ないから、せめて筋トレだけは誰よりも頑張る!」と決意してたので、めっちゃジムに行ってた。そのおかげかいつの間にか筋トレキャラになってました。ラクロスのプレーより筋肉が先に褒められる始末。。
この年、先輩から唯一褒められたのが肉体美だった。ラクロスの日本一よりベストボディジャパンで日本一目指したいと強く思うようになった。
てのは半分ほんとの半分冗談。
このままやとチームにとっての自分の価値はなんやと考えたり、3回生や4回生になってもラクロスが楽しくない未来が見えた。
このままやと残り2年つまんなくなるからなんとかして打破したい。
そう思ってふおんの代わりに新人委員就任や立候補で副務(主務)になった。4回生なったら主務×選手でやってやると気合いを入れた。当時は自分にバリューなどないから人がめんくさがること何でもやるしかないとしか考えてなかった。
当時の先輩からは「興梠が副務なの意外」と言われるぐらいそんな主務キャラじゃなかった。今では主務の人のイメージが強いと思うけど。
目立たない副務と言えど一応は幹部なので、めちゃくちゃモチベは上がった。
---3回生---
意気込んで頑張ったおかげか、一回の頃からの積み重ねかは分からないけど、3回生の春、トップリーグや新歓試合に出場させてもらった。まず、自分がAで練習してることが今までになかったことやし、ATの序列はたくの次にきた時もあった。今考えたらまじありえへん。とりあえず、凄い調子よかった。
ロールばっかしてたから「こーろーる」なんて言われた。
これも自分なりにジムで体幹鍛えて、脚トレして、壁でスパイク履いてロールの練習しまくったおかげだと思う。ダッヂ練だけでなく、コンクリの壁や鉄棒にぶつかって接点ワンのイメージ練習もしてた。側から見たら普通に意味わからんけど、ワンワンに全ツッパしてたので結果として効果あったと思う。知らんけど。
一回生以来のラクロスが楽しいと思う感情がそこにはあった。
この調子を落とさずこのまま突っ走りたい。
けど、そんな簡単なわけない。
同期の成長に追い抜かされていった。
加えて、委員会だったり就活で全体練習を休む日が増え、練習量が減ることで成長が鈍化していった。
Bリーグにもほんの少しだけ出さしてもらったけど大した結果を出せず、序列は徐々に下がっていった。
2023年12月18日
コーチ候補による最後の想いを語る場が用意された。
自分は同期のATで序列が1番下だったから当たり前にコーチ候補。
けど当時の自分はそれどころじゃなかった。コーチについては前々から考えていたものの決意が固まっていなかった。立て続けにある主務業務や就活の用事、代替わりで忙しい中に起きた西北壁での不祥事。忙しさmaxで思考がコーチ決める問題とかに追いついていなかった。なんなら当日の1時間前に思い出すぐらいコーチについて何も考えれてなかった。
副務としてもKGADの書類作ったり毎日の日報書いたり、幹部会議の議事録作成、他部活との連携、同期に就活イベント開催したり、スポンサー探しに力入れたり、はるきや友久とユニ作成のグラウンドファンディングのために積み立て金案を考えたり、他大の経験者に連絡とってノウハウ教えてもらったりと色々忙しくはあった。(結果、クラファンとスポンサーは没になったけど)
→自ら動いてたから楽しかったけどね
しかし、主務になった瞬間直面した西北壁の不祥事にはさすがに泡吹いた。書き方分からんなっがい顛末書を集中して作成してたら、OB訪問の時間過ぎてしまってたという大失態などこの時期は色々ネタあるけど長なるので省略します。
コーチ決めではDF、MF、ATみんなが頑なに選手を続けたい意志を貫いた。
選手をどんな形であれやり切りたい想いはみんなと同じく根底にあったが、
・1年間医者からもよく分からんと言われたコロナ後遺症で、ことあるごとにプレー中えずいてしんどかったこと。
・ATの序列で1番下だから結局時間の問題でおれがなるだろ。
との2つの理由と諦めの気持ちで「コーチやります」と言ってしまった。
どのみち自分がなってたとかそんな問題ではなく、ここで大事なのは自分の納得感であった。しかし僕は自分の意思に蓋をしてしまった。
これが相当よくなかった。後々苦しんでしまう要因の1つになる。
あぐり、かんたとOFコーチの役割決めをした際は、2人と同様に最初から一回生コーチを志望していた。
しかし、考えを改めてBコーチになる決断をした。今年の2回生3回生絶対強くなるポテンシャルあるし、おもろいメンツ集まってるやんと思ったから。
けどそれよりも、大好きな同期とできるだけ近い場所にいときたい。
これが1番の決め手であった。ほんと未練がましい野郎です。
---4回生---
正直まともな記憶がない。常に荒れてたし、苦しい1年だった。人生で1番しんどかった。
この苦しさってのは、マルチタスクlevel極+どれをとっても結果を出せない自分への絶望感と喪失感であった。そして、ふおんやその他リーダー陣のようにチームに関しての悩みではなく個人としての悩みばかりしか抱けなかったことがほんとに悔しかった。
例を出すと4つある。
①チーム発足時、グラウンドに行けばプレーする同期を見ることになり自分と比較してしまい、毎日なにかしら辛かった。大して頑張ってるように見えない同期には心の底で「コーチなった人達の前でそんな態度とれるの舐めすぎだろ」「コーチ決めの時の誓いを何も意識してないやん」と思ってた。コーチになって最初の方は、学生コーチ陣とリーダー陣のすれ違いも起きたりしたな。コーチになると決断した後も色々な想いを持ってコーチ業に取り組んだ僕やちーば、あぐり、かんた、きのぐら、たくまのことを考えると凄くピリピリしてしまってた。
②加えてコーチとしても結果に結びつけれるようなことは何もできず、自分の無力さを感じた。何よりも他のタスクでキャパが溢れてコーチ業に専念できなかったのが悔いとして残る。
③内定0で就活大忙しの時期に立て続けに起こった不祥事。タイミング悪すぎ、勘弁してくれと思いながらも、色々な関係者に謝罪した。学内での壁を使えるようにするために女子と一緒に色んな人に掛け合った。不祥事の件では、共同体である女子部からは、特にこっぴどく責められた。素行だけじゃなく戦績も悪かったので頭が上がらなかった。部則変更や誓約書の作成という仕組み作りだけでは効果ないんだなと痛感する。
今年最も「申し訳ございません」を言った人に送られる賞があるなら絶対に僕が受賞できると思う。(全然誇らしくない)
④主務としては春先に、年度替わりのためにタスクがたくさんあった。
Proof世代山本寛人さん、Answer世代つぼちんさん、Rewrite世代の粟ちゃん。
みなさんこの時期にノイローゼになったと聞いてた。あらかじめ覚悟しとけばそんなもんならんやろと思ってたらガチでなってしまった。まじ笑えない。
歴代の主務の方々、心の底から尊敬しています。
細かいこと挙げればキリがないぐらい動いた。
自ら主務になったのだから、忙しいのは全然構わなかった。けど、全てが結果に結びつかないどころか、主務は選手みたいに定量的にやりがいを感じれるものはない。
副務になったときは、プレー×チーム運営でカマしてやりたいとモチベ高く思ってたのに。
なんのためにこんな裏方やってんだろか。
こんな気持ちを抱きたくてラクロス部入ったわけじゃない。
悔しい。無念。
ただひたすらにこの感情が自分を苦しめる日々だった。
ふおんは気にかけてくれて、働きをみんなの前でも評価してくれたけど、
自分としては納得いかなかった。みんなからの労いの言葉を素直に受け入れられなかった。
ラクロスも就活もプライベートでもズタボロになった。
そして夏、フェードアウトしてしまった。
洒落にならんぐらい動きまくった半年だった。その影響で、悪い意味で燃え尽きてしまった。こんな未来になるとは一回生の時の自分は想像もつかなかっただろう。
まともにラクロスのことを考える余裕がなくなり、Bコーチの座をせいじに譲った。
せいじも選手として活躍したい踏ん張りどころなのに急にタスク増やしてまじごめんやった。とても感謝してます。
これで正真正銘、ただの「主務」になった。
またもや悔しい、情けない、喪失感の感情が僕の首を絞めた。
終わりよければ全てよしと言うし、
どんな結果であれやり切れば、大好きな皆んなと最後まで駆け抜ければ、燃え尽きればそれでよかった。それができなかったのが何より悔しい。
そんな心情だったので、リーグ戦での同期の喜びを素直に共有することができなかった。
聖人君主じゃないからこそ、F君のことを、
「なんであいつがベンチ入れてるねん。ラクロス本気で向き合ってこなかったやつが今さら立つ資格ないやろ。」とやり場のない怒りをぶつけたりもした。
大学4年間捧げて取り組んだラクロス人生を熱く締めることができなかった。情けない。
家族、同期、後輩、先輩、友人
期待や応援をしてくれた、みんなに合わせる顔がない。
今思えば、努力の方向性が間違っていたのかもしれない。毎日あと1時間長く壁打ちやシュー練するべきだったのかもしれない。主務やコーチ、委員会の仕事をもっと肩の荷おろして取り組めばよかったのかもしれない。良い病院に早く行けば病気治ったかもしれない。就活なんて最初からしなければ良かったのかもしれない。
そもそも不器用な自分は役職につかず、プレーのことばかり考えれる環境を作ればよかったのかもしれない。
過去にIFはないのにそればかり考えてしまった。
"人生は選択の連続である"
僕が好きなシェイクスピアの言葉だ。最近改めてこの言葉の意味を考えさせられる。
「塵も積もれば山となる」ということわざがあるように、現在の小さな決断の全てが未来へと繋がっています。
人生にはいろいろな場面で自分が選ばなければいけない。自分が決めて、こうしなければいけないっていうことがたくさんある。毎日小さな選択の積み重ね。時には大きな選択もしなければいけない。体育会に入るかサークルに入るか。コーチになるのか選手を続けるのか。主務に立候補するかしないのか。
ジムや壁に行くかtiktokみながら家でくつろぐのか。飲みにいくのか自己研鑽に時間使うのか。練習メニューに誰よりも先に入ろうとするか列の後ろで同期どダベるのか。
Aを選ぶかBを選ぶか、常に何かしら自分で決めなければいけない。
過去の繰り返しの決断の結果として今の自分がある。もちろん外的要因も大いに関係する時がある。けど他責にしない。
どんな時であれ「自分の人生に責任を持つ」
自分の人生に責任を持つということは、
起こる結果全てが自分の選択の結果であると認識し、受け入れること。そして、どんな過程であれ将来の自分を肯定できるようにするために今ベストな決断を繰り返す。
これが僕のポリシーです。
この考えがみんなのこれからのラクロス人生に響いたら良いなと思います。
こんなお堅いこと言うてますけど、この経験を経て「ケセラケセラ」、なんくるないさー精神も大事だなとつくづく思いました。
加減って大事ですね。
以上、フィリピンで強盗に怯えながら生活してる僕からのメッセージでした。ここまで読んでくれてありがとうございます。
想定より長くなり過ぎましたが、最後に感謝の言葉で締めたいと思います。
家族へ
4年間、何不自由なくラクロスに打ち込める環境の提供や熱い応援をしてくれてありがとう。高校の件しかり、大学こそはと意気込んで目に見える結果で恩返ししたかった。結果としては何も成し遂げれず不甲斐ない限りです。特に4回生の時は、主務やコーチや就活の忙しさで頭がオーバーヒートしてたせいで、家でも相当荒れてたと思う。心配させてごめん。けど、3回生に至るまでは、友人にも恵まれとても充実したラクロス生活を送れました。支えてくれたお母さんやお父さんのおかげです。ありがとう。今後は違う形で親孝行していきます。
後輩へ
生意気だったり可愛げのあるやつが多くて楽しかったです。何度君たちの代わりに頭を下げたことか。それも含めていい思い出です。特に最初と比べたら、格段に周りのことを考えれるように更生したしんじ。常に何かと言われる森上、かいと、善一、はると、かんた、太一などの森上組。2回生の頃の僕も序列だけで言えば君たちと同じような感じだったので、来年のチームでどれだけぶち上げてくれるか期待してます。まじがんばれ。
全員に伝えたいことは、
4年間のラクロス生活を通して
"燃え尽きて欲しい"
やり切ったと思うほどラクロス部の活動に全力を注ぎ込んで欲しい。
貴重な大学4年間を時間潰しとして使うのでなく、理想像を明確にしてまっしぐらに取り組んでもらえたらと思います。せっかく部活入ったんやからそっちの方向で取り組んだほうが楽しいよ。今後はOBとして応援してます。
島本君へ
主務×選手で頑張れ!
3月〜5月はノイローゼ覚悟しといてください。来年は不祥事ゼロだといいね。
同期へ
最後の1年間はmaxで楽しめなかったけど、それも含めて4年間最高だった。ほんとにありがとう。こんな恵まれたみんなに出会えた僕は幸せ者です。
しんどい時飲みや温泉誘ってくれるやつ、エコロが燃えてたら勝手に集まってくるやつら、終電集合当たり前のやつ、至近距離で僕の僕を撮ろうとするやつ、サイコパスなやつ、常に耳たぶ触ってくるやつ、シンプル厨二病のやつ、不仲じゃないけど不仲説出される2人etc...
永遠に書けるのでここで止めますが、個性的でアクティブな同期と過ごしたラクロス人生はとても充実しました。社会人なっても学生時代と変わらず全力で思い出作っていこう!これからもよろしく!
次にブログを回すしおりについてご紹介します。
彼女はうちの頼れるトレーナーリーダーです。みんな言うてるけど、今年のチームは例年と比べてスタッフの活躍がチームに大きな影響を与えたと思います。その中でもしおりはスタッフリーダーとして、後輩のことを誰よりも考え、人一倍責任感持ってやり抜いてくれました。たまに抱え込んで練習中しんどそうにしてた時もあったけど、本気でやってるからこそ抱く悩みやと思うから、とてもリスペクトしてました!
本当にありがとう!
そんなしっかりもので優しい彼女の社会人はどのような姿になっているのか気になります!これからもよろしくね!
熱いスタッフ魂語ってくれ!!
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