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自分の道を進む-4回生 AT #3 前田晏生-

平素よりお世話になっています。保護者の皆様、OBG、関係者の皆様、多大なるご支援、ご声援ありがとうございます。今後とも関西学院大学体育会ラクロス部をよろしくお願いいたします。



まず、僕を紹介してくれた友久のことを書きたいと思います。

ファイナルで試合が終わった瞬間から泣き崩れ、綺麗な涙を流してた彼ですが、うちに秘めてる思いは本当に大きく、自分に対しても他人に対してもストイックです。

また、他大学からのスカでは急に奇声を出すと言われる様な一見怖い変なやつに見えるかも知れないですが、海外に一緒に行った時はパンイチで寝て風邪をひいたり、写真をたくさん撮ってる可愛くセンスある一面も兼ね備えてます。

ちなみに、僕は友久の目にボールを当ててしまったこと全く覚えていません^_^ごめんね

社会人なっても毎年恒例の海外旅行いきましょ


ここら辺で友久の紹介は終わりにします。






『自分の道を進む。』


多分これが僕を知ってる人が思う僕らしいブログなんじゃないかと書き終えて思いました。

伝えたいこと書きたいこと書き切ったので、拙いブログですが読んでもらえればと思います。






バスケットボールからラクロスに切り替えた理由を今まで何度聞かれたことか。

「学生日本一」を取りたかったからなんていうカッコつけた後付けの理由を言ってたけれど、なんでラクロスに決めたかなんて正直覚えてません。


いつのまにかラクロスを好きになって、バスケを引退してすぐにクロスを手にしていた。


そうやって大学に入った時には、サークルの体験に行くこともなくラクロス部に入った。


ラクロス部に入ってからの4年間はほとんど苦しかった思いしかない。唯一楽しい期間を過ごしたのは昨年度の春先から日本一になるまでの数ヶ月。(後に矢澤ショットと呼ばれる幻のローハイを打ち込んだ試合まで)それ以外は基本的には辛くて、焦って、結果が出せないことばかりだった。




でも、このラクロス部に入る選択は正しかった。そう思わせられる4年間。そして、最高の仲間と出会った。




引退した3日後にはなにもすることがない日常が暇すぎて、寂しすぎてどうすればいいのかわからなかった。そのぐらい、ラクロスがあるのが当たり前で練習前後のおしゃべりが日課で、終始話すこともない日常が違和感でしかない。




そんな今の自分から最後に何か残せるものはなにかと考えた末に、「自分らしさ」を伝えたいと思った。



そういえば、昨年度よしとさんが「優れるな、異なれ」というテーマでラストブログを書いていて読んだ時に来年こんな感じで書こうかなと考えてたことを思い出しました。




僕は人と被るのが嫌です。だから、なんでも人と違うことをしようとします。二番煎じな生き方が嫌なんですよね。



考え、生き様、選択、行動、旅先、何もかも人と被りたくなくて自分の道を生きました




そして、これからも多分そうなんだと思います




また、僕は4年間でこの考えや選択、行動に対して自分なりの理由をちゃんと見つけて行動することをやってきました。



じゃないと僕は甘い人間で苦しくなった時、辛くなった時、絶対に逃げてしまうので。

(自分なりの理由をつけても自分の甘さに負けてしまう時は多かったですが)



これが多分ラクロスをした4年間で学んで、身につけた自分の道を進む上で必要な要素なんだと今は思っています。



関学のラクロス部のプレイヤーは、4回生になるとプレイヤーを続けられる者、コーチに回る者、兼任する者、スタッフになる者、本当に色んな立場に変わっていってしまいます。



入部する時は、チームを勝たせるエースプレイヤーになりたくて、自分が活躍して勝利を呼び込みたくて、そんな目標を持って入部を決意するけれど、なかなかうまくいかないことばかりです。



でも、僕も含め、なかなかうまくいかない時こそ、考えや選択、行動に対して自分なりの考えを持って動いて欲しいと思います。



それをやった先にみんなそれぞれの「自分らしさ」があって誰にとっても変わる事のできないその人にしかない価値があると思ってます。



こうした4年間を過ごして、ラクロス部ではほとんど上手くいかなかった日々を過ごしたけれど、自分にとってはかけがえのない日々で、刺激的な日々で、成長しかなかったです。



これからも僕は自分の道を進み続けます。






ここからは、感謝を少し述べたいと思います。


両親へ

まずは、学生最後まで自分のやりたいことをさせてくれてありがとう。陸上もバスケもラクロスも怪我ばかりでもっと試合で活躍してる姿を見せたかったと後悔ばかりが残っています。

引退した数時間後には社会人バスケの試合に出ることが決まった時は流石に驚きやったけどまたバスケの世界へ戻ることも考えます。




戦友(ふみや、かずひろ)へ

2人がいたから最後までメンバーとしてやって来れた。

毎試合の3人でのハドル、勝って後3回したかった。

たくからは俺ら3人使いづらかったっていうてたけど、俺ららしいよね笑

本当にありがとう。これからもまだまだよろしく!



7年間のチームメイト(ふおん、たく)へ

ふおんとたくはどんどん試合に出て、高等部バスケ部の中で自分がなかなか活躍できないことで気にしてた時期もたくさんありました。

でも、2人を追いかけて追い越そうとしてやって来れたこの4年間は苦しかったけど、最高の経験でした。

本当にありがとう!たまにはバスケでもしましょうか



同期へ

まず、フライングスタートでラクロスをしていたこと謝ります。

最高に面白くて、笑いが絶えないみんなと一緒に過ごせた4年間は財産です。

日本一嫌われやすいMBTIが同じなちーばと一回生時にリーダーした時は流石に大変だったけど、今ではいい思い出です。

最近、管理厨とか言われ出してるのでこれからみんなのことは僕が管理しますね。



流石に全員に感謝は長くなりすぎるのでこの辺で終わります。





最後に、4年間。いや、学生全ての中の忘れ物


目標は逃げないのに、いつも達成できなかった

自分は肝心なときに、いつも逃げてばっかりだ


学生スポーツで学んだ自分との勝負。

また、自分の弱さに負けてしまった学生生活。


人に負けることがあったっていい。でも、絶対に自分の弱さには負けないと心に決めた。


ここに宣言をして僕のブログを終わります。

4年間ありがとう。






次にブログを回すのは、かったことこうろくんです。

彼も友久の紹介であった様に海外旅行に行くメンバーの1人です。史也の悪魔の囁きによって海外で1人にされるメンバーの1人でもあります。今年度は主務でだいぶ大変だったと思うけど、チームの裏側をずっとやってくれてありがとう。今はフィリピンにいるということですが、何をしているのか誰1人わかりません。そんなフィリピン現地からのブログをどうぞ!

これからも一緒に海外旅行行こな!


では、頼みます!

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