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負けることを知らずして、本当の勝利は得られない-4回生 TR 東誠士-

平素よりお世話になっております。




まず初めに、常日頃より応援してくださるOBG、保護者、並びに関係者の皆様。いつも多大なるご支援、ご声援誠にありがとうございます。


皆様が暖かく見守り、支えて下さったお陰で我々は最後まで闘い抜くことが出来ました。

何よりFINALは、今までで1番最高の応援でした。

あの声援があったからこそ最後の3点があったと僕は思います。


また、Aチームのシーズンは終わってしまいましたが、1年生の大会がまだ残っています。120名全員で最後まで闘い、三坂組を締めくくれるよう尽力いたしますので、今後も熱いご支援、ご声援のほど宜しくお願いいたします。



#15竹中 寿汰から紹介に預かりました。#TR東 誠士と申します。




まず初めに、ブログを回してくれたじゅたの紹介をさせて頂きます。
















『チームの大黒柱』


















私は彼ほどこの言葉が似合う人物に出会った事がありません。




勿論ゴーリーというポジションとしての意味もありますが、どんな時でも弱音ひとつ吐かず、絶対的な安心感を我々関学ラクロス部に与えてくれ、守り続けてくれました。完璧なセーブに、全力チェイスに何度救われたことか。本当にありがとう。

















さて、彼の紹介はこの辺りにして、私の本題に移ろうと思います。入部以来最初で最後のブログ。負けてしまってどんな内容を書こうかとても迷いましたが、今回のブログを通じて私の想いが少しでも伝われば幸いです。




































「なんでラクロス部に入ろうと思ったの?」


「なんでトレーナーをやろうと思ったの?」




















就活期に耳にタコが出来るほど面接官に聞かれたこの質問。こう聞かれる度に僕は、





「先輩方の日本一への熱い想いと共に、結果だけにこだわらず、過程を大事にする風土に惹かれたからです。」


「選手としてではなく、組織の裏方としてスポーツに携わり、日本一を目指す上で人間として多角的な視点から成長したかったからです。」




と答え続けた。しかし、この言葉は本心ではあっても、本音ではなかった。







僕は高校時代、#7福田 凜太郎や#1高見 皇之介と共に関西学院高等部でバスケットボール部に所属していた。






有難いことに1.2年生の頃は試合に起用して貰えていたが、ラストシーズンはゴール下でシュートを外す。ここぞと言う場面でまた外す。チョンボのDF。何度も何度もチームに迷惑を掛けてしまい、目標としていた兵庫1位を逃してしまった。





そんな中で大学ではトレーナーの道を選んだ。

ある種、トレーナーへの移行は「逃げ」だったのかもしれない。





自分でも高校は黒歴史だと口にしているが、スタッフになって選手の背中を見てから、あの時の自分はただの努力不足だったんだと強く思うようになった。










毎日壁に行き、毎日ミーティングをし、毎日先輩にビデオを送って改善点を指導してもらう。そんな同期の姿を見て、僕はあの時何も出来ていなかった、しようとすらしていなかったのだと気付かされた。








それと同時に、トレーナーになった以上、『東 誠士』という存在に"意味"を持ち、必ず勝利に貢献する。そう決意した。




そんなこんなで始まったトレーナー人生。それは決して簡単な道のりではなく、苦しく辛い事ばかりだった。





















1年生



















毎日「なんであの時こんな行動をしたの?」とスタッフの先輩に反省を出される毎日。




想像以上に難しく、なかなか上手く巻けないテーピング。




「お前らスタッフのせいで負けた」とコーチに詰められたサマー決勝トーナメント。





何が正解なのか分からない。何もかもが「ただやっているつもり」で、何も出来ていない日々が続いた。夏休み頃までは1回生コーチのよしきさんに、育成の先輩に怒られないように、反省を出されないようにと受け身になってしまっていた。






サマーに負けてからは何度も同期のスタッフでミーティングを重ね、何が足りていないのか、勝利に貢献するには何が必要なのかを考え続けた。





テーピングも人一倍練習した。YouTubeでテーピング動画をひたすら見漁ったり、家では親の足を借り、練習前や放課後に同期の足を借りて巻き、直接フィードバックを貰い、改善を繰り返す。四六時中テーピングの事を意識した。




京都カップ前にはスタッフでミーティングを主催し、その時初めてプレイヤーとお互いの本音をぶつけ合った。


今思えば、あのミーティングがあったからこそ、今も本音で言い合える関係になれたと思う。




そこから結果も良くなり、京都カップ優勝・東海遠征全勝・ウィンターステージ優勝と、最高の括りで2019シーズンを終えることが出来た。


















2年生


















それは僕の思い描いていた1年ではなく、地獄のシーズンの始まりだった。


コロナ禍で練習は出来ない。トレセンも利用出来ない。誰とも会えない。公式戦も中止。何もかもが「出来ない」の連続で、何のやり甲斐も面白さもなく、モチベーションが全く上がらない毎日。



その上、後輩への指導もしなければならない。Aチームの一員としてチームに貢献しなければならない。多方面からのプレッシャーにただひたすら焦り、戸惑い、押しつぶされそうになるばかりだった。



当時の自分は弱かったと思う。

せっかく1年生の頃に学び、成長出来たというのに、今思えば高校時代の二の舞になってしまっていた。









みっちーのラストブログと似たようなことを言うが、後輩、特に2年生で現在悩んでる人、似たような感情がある人は選手でもスタッフでも声をかけて欲しい。僕にできることはしてあげたい。




それが残りの期間、僕に与えられた使命だと思う。
















3年生


















ひとつ上の先輩にトレーナーがいらっしゃらないこともあり、実質的に最高学年となった。



そんな中で先輩達に意見し、求め続ける日々。

なかなか思い通りにいかず、跳ね返されることが多かった。何でこんなことをしているのか分からなかった。正直辛かった。それでも、「この先輩方と、スタッフの先輩ともっと長くラクロスがしたい」その一心でただがむしゃらに走り続けた。














それでも日本一にはなれなかった。












全学決勝。駒沢のあの舞台で我々は慶應義塾大学に敗戦し、あと一歩のところで日本一に届くことが出来なかった。




「悔しい」




あの時の僕にはこの感情以外何もなかった。先輩達の泣き崩れる姿をただただスタンドから見ることしか出来なかった。

悔しかった。

もう二度と負けてはいけない。必ず日本一になって先輩に恩返しをする。そう心に誓った。
















4年生

















あっという間だった。



スローガンを決め、ミーティングを重ねたあの日が昨日の事のようだ。








全てが順調に進んだ訳では無い。時には意見がすれ違い、衝突したこともあった。ただ、同期でチームを作り上げる毎日が楽しかった。











そして迎えた関西FINALvs京都大学


正直負ける気は一切していなかった。





当日の朝も、アップ中も、試合が始まっても、4Qの最後の最後まで。

観客、スタンド、ベンチに居た誰の目も死んでなかったから。誰も諦めてなかったから。




俺達なら絶対に勝てる。日本一を目指せる。そう確信していた。
















でも負けた。
















敗北のブザーが鳴り響くあの音を、グラウンドで崩れ落ちるプレイヤーの姿を、『京都大学』と大きく刻まれた電光掲示板を。僕はあの日から1度も忘れることが出来ていない。










涙は出なかった。『負け』という現実を受け入れられなかったから。






次の日も、いつものように朝6時半に目が覚めた。

「起きて三田に行かなきゃ」と身体を起こしてからハッと引退したことに気付いた。正直今でもまだ受け入れきれた訳では無い。






















振り返ってみると、僕の人生は失敗や挫折をひたすら繰り返してきた。




ただ、その失敗の先には必ず成長があった。





"負けることを知らずして、本当の勝利は得られない。"






これは僕の人生のバイブルとも言える『イナズマイレブン』にて、響監督が口にしたセリフだが、本当にその通りだと思う。





高校時代のあの経験があったからこそ、トレーナーという道を選ぶきっかけになった。




サマーに負けた事で、トレーナーとして何も出来ていない現状を知ることが出来た。




去年、駒沢の舞台で負けた事で、もう二度と負ける訳には行かないと奮い立たせられた。








だからこそ、今回の負けを『意味のある負け』にしなければならない。



これからの人生で、「あの時京大に負けたからここまで強くなれた」と胸を張れるように。



下ばかり向いていられない。前を向いて、今自分が出来ることに全力を注ごう。






きっとその先に、僕の人生の”Answer"があるはず。








最後に、メッセージを綴らせて頂きます。









1年生へ



残る試合を、負けてしまった僕達の肩代わりをしろとは言いません。

ただ、今はラクロスを全力で楽しんで下さい。


時には辛いこともあるかもしれません。それでも、限りある同期だけのチーム。決して無駄にしないで欲しい。


全力で楽しんで、全力でぶつかってください。きっとその先に最高の景色が君達を待っています。







2年生へ



正直今が1番難しい時期だと思います。


上と下に挟まれ、自分の立ち位置や存在意義が不明瞭になり、結果が分かりにくく、手を抜くのも全力を出すのも自分次第。モチベーションが保ちにくい時期だと思います。



"まっすぐ自分の言葉は曲げねェ それが俺の忍道だ"



これはかの有名な作品『NARUTO』にて、ナルトがよく口にしていた名セリフであり、僕のモットーです。


僕はこのセリフを、「どんなに迷い、戸惑ったとしても、自分の信念は決して曲げてはいけない。」と解釈しています。



是非、今一度ラクロス部への入部を決意した時の想いや感情、熱量を思い出してみて下さい。今この時期の行動は良くも悪くも今後に響いてきます。

「あの時こうしておけば良かった」と後で思うことの無いよう、初心にかえって自身とラクロスに向き合って下さい。







3年生へ



僕達と共に闘ってくれて本当にありがとう。同期全員が思ってるけど、みんなのおかげでここまでやってこれました。



くぐりやけいや、ひろきがあれだけ涙を流してくれて僕は嬉しかった。

それだけ今シーズンに想いをかけ、本気で取り組んでくれていたのが身に染みて伝わってきたから。



あんなに自分のせいだと謝ってくれたけど、絶対に君たちのせいじゃない。むしろ助けられてばかりだったとトレーナーの立場から見てても分かる。むしろ謝るなら僕の方だ。

トレーナーとして勝利に導けなくてごめん。






これからは君たちの代。

最高学年はめちゃめちゃ楽しく、一瞬のように過ぎます。





全て自分たちで決め、やりたいようにやれる。


それが逆に重荷に感じることもあるかもしれないけど、くぐり達なら絶対大丈夫。同期のみんなと後輩を信じて来年、最後まで突き進んでください!


1番近くの先輩として応援しています。






4年生へ、



改めて、みんなが同期で本当に良かった。



何度も何度もぶつかりまくった。嫌になる時もあった。諦めそうな時もあった。だけど、みんなだからこそここまで本気でぶつかり合えた。


それに、どんなに辛いことがあっても、皆がそれぞれのステージで、一途に、ひたむきにラクロスに向き合い頑張る姿。そして些細な「ありがとう」や、「テーピングならお前や」と、自分という存在に意味を与えてくれたあの言葉に、僕は何度も救われ、何度ももっと頑張ろうと奮い立たせることが出来た。トレーナーの道を選んで良かったと心から思えるようになった。





「ずまー、テーピング頼むわ」ってもう言われないのか。なんかちょっと寂しいな…





このみんなで勝ちたかった。

勝って嬉し涙を流したかった。

駒沢の頂を皆で掴み取りたかった。



今はそれしか思えないけど、三坂組の一員で居れたこと、心から誇りに思います。




















そして他部活の友人へ(少し関係ないかもしれないけど書かせてください。)








僕は高等部卒ということもあり、ラグビー部やアメフト部などによく飲みに行ったり遊んだりする友達が多いです。

よくお互いに一切気を遣うことなく愚痴を言い合ったりしました。

僕にとって部活以外で唯一の心の拠り所でした。

それに、僕の知らないところで皆がひたむきに頑張ってる。それが何より僕自身のパワーになってました。もっと頑張らないと。このままじゃダメだと自分に喝を入れるきっかけでした。本当にありがとう。

ラストシーズン、僕は引退してしまったけど、「最後までやり切った」と胸を張れるように頑張って欲しいです。絶対に応援に行きます。

そしてまた、引退したら呑みに行こう!!







スタッフの後輩へ


こんな頼りない僕達に着いてきてくれて本当にありがとう。

皆本当に心強くて、頼もしくて、自慢の後輩です。


少しは先輩らしいことが出来ただろうか。出来てたらいいな。


まだ時間はあるから、僕に出来ることがあったらいつでも何でも相談してきてね。



これから色んな壁にぶつかると思います。その壁から目を背けるのではなく、必ず正面からぶつかってください。そこに成長のヒントは必ず隠されています。




陰ながら応援してます。










最後に、楓、和奈、朱里、美優。

同期スタッフの皆には感謝してもしきれません。


『戦友』と言うべきなのでしょうか。この4年間、苦楽を共にしてきました。なんなら苦しいことばかりでした。サマーであれだけ詰められて桃山から途方も無く歩いたあの日も、コロナ禍で何も出来ない日が続いても、プレイヤーとぶつかりまくった毎日も。今では忘れられない思い出だけど、皆が居たから乗り越えられた。最後まで全力で走り抜けることが出来た。



こんな個性溢れまくりな5人がこうして集まったのは奇跡でしかないです(笑)







「じゃあね。また明日」をあと何回言い合えるだろう。







しょうもない話でアホみたいに笑い合えるのはあと何回だろう。








ありふれた日常が、当たり前の毎日が、ふと気付けば特別になってきて、一人で勝手に寂しくなってます。













こんな一生涯の仲間になるとは思ってなかった。それが皆で本当に良かった。














こんな僕だけど、これからもよろしくね。














こうしてブログを書いていると、ああ、なんて僕は幸せ者なんだ。と改めて感じています。





こんな僕をラクロス部に誘ってくれた友人がいて、最高な同期に囲まれて、先輩・後輩に恵まれて、僕に新しい居場所をくれて、今まで暖かく見守り、育ててくれた両親がいて、快く練習をさせて下さる施設の方がいて、トレーナーの僕に対しても「次の試合、頑張れよ!」と声をかけてくれたり、応援に駆けつけてくれた親友がいて…これでもかと言うほどの幸せを受け取ってきました。

















ラクロスに出逢えたこと。


















皆に出逢えたこと。
















その全てに、”感謝”














関学ラクロス部に、僕に関わって下さった全ての方々、本当にありがとうございました。
















これからは少しずつ、少しずつ恩返しをしていけたらと思います。





































それではここらで1回締めようと思います。




1.2.3.KG






轍~ALL BLUE~

KEEP POUNDING

PROOF~証明~

ANSWER~蒼炎~





以上で私のラストブログとさせて頂きます。


大変長く拙い文でしたが、読んで下さりありがとうございました。








次にブログを回すのは、#TR細川美優です。




彼女はとにかく何事にも全力で、思うことがあればズバッと言ってくれる、尊敬できる1人です。




そしておもろいです。

大阪仕込みのノリの良さと面白さで、彼女がいると笑わない日はありません。




そんなハイスペックでイケイケな彼女ですが、意外とガラスのハートという一面もあります。『どんな花よりも丁重に』そんな言葉が似合う女性だと僕は思っています。




と、これ以上書くと何か言われそうなので彼女の紹介はここら辺にしておきます(笑)




それじゃみゆう、アツいブログ頼んだ!!

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