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関西3位のATリーダー-4回生 ATリーダー #1 井田 圭哉-

平素よりお世話になっております。


日頃より応援してくださる保護者の皆様、OBG、関係者の皆様、多大なるご支援ご声援ありがとうございます。2023チームとしては1回生のウインターが残っております。また、2024チームも合わせて今後とも関西学院大学ラクロス部をよろしくお願いいたします。


STリーダーの岩塚真里から紹介に預かりました、2023年チームATリーダー#1の井田圭哉です。


まず、ブログを回してくれたまりちゃんについて紹介したいと思います。

彼女は今年かなり大変だったと思います。そして、おそらくその振り回した原因の半数ほどは僕なのではないかと思います。そんな彼女とはMBTI診断で相性が星5だったので、お互いにやりやすかったのかもしれません。


彼女は入部した時から、スタッフリーダーになりそうな立ち位置にいました。しかし、本来の彼女の性格や今までの立ち位置からそこへのギャップに悩んでいたことを覚えています。それでも4年になってスタッフリーダーとしての彼女は本当に頼りになる人でした。信頼してたよ。今までスタッフとして支えてくれてありがとう。


そんな彼女は飲みに行くとすぐに顔を赤くします。また、少しふわふわしてずっと笑顔です。彼女の可愛い一面です。

そしてどうやら僕の知らないところで何かを奢る約束になっているみたいです。乗り気になった彼女は止められないのでまたご飯でも飲みでも行こうね。



「関西3位のATリーダー」



試合終了の笛と同時に空を見上げ、フィールドに倒れた。その時出てきた言葉。


終わった

疲れたな、


この1年を象徴しているように思う。


やっちゃったな、

まぁそうだよな、、


悔しいなんて感情はひとつもなく、虚無感と申し訳なさ、そして納得。




1年の頃に感じた。

このチームには意見を言える人間がほとんどいない。ぼくはこのチームの嫌われ役をするしかないのかも知れない。

正直入部当初から、この部活はいろんなところがおかしい。そう感じていた。組織として欠落しているものが多く、とても日本一を目指すチームだとは思えなかった。


2年になる。

組織に入るというのは怖いものだ。様々な欠落している部分を無視して生きていくことができるようになる。

その頃のぼくは、組織より個の成長を求めていたこともある。括と張り合いながら、他の同期ともほとんど関らず、ただただ上を目指して進んでいった。


3年。

無視するどころか、ほとんど気付かなくなってくる。気付いても諦める。何回か言ったが変わらないのだからと。プレーヤーとしては自分の立ち位置やプレースタイルを探しながら自分なりの答えを出しOF組織に参加していったつもりだ。その頃には同期なんていう横のつながりすら1つも感じなくなった。


余談だが、3年の春に肩の怪我をした。その時病状次第では手術で、

今シーズン誤魔化しながらプレーをし、4年に手術をしてコーチをする。

すぐに手術をして今シーズンを捨て、万全な身体で4年のシーズンを戦う。という2択があった。


怪我の状態が良くなり2択にはならなかったが、本当にそうなった場合は平気で前者を選ぶつもりだった。


あげく、怪我なんて関係なく、その年で日本一になれたらプレーヤーをやめコーチをする。なんてことまで言っていた。それほどまでに横という感覚がなくなっていた。


4年

組織の上に立つ時、もう一度1年の頃に感じたことを感じる。こんな組織ではいけない。様々な欠点。どれから手をつけていいかわからない。そしてこのチームに指導をしたり怒ったりする選手はあまりいない。やっぱり嫌われ役をするしかないのかも知れない。そう感じた。また、同期の大切さに気付かされた。同じ組織を作っていく同期を信頼できることがどれだけ大切かを。



話は変わる


去年ファイナル決勝で負けた。

弱い自分の1年の始まりだった。

その翌日、初めて壁に行かなかった。ありえない豪雨や不可能な時以外毎日行っていた壁に行かなかった。

と思えば、1ヶ月行かなかった。年末までにも2,3回しか行かなかった。本当にラクロスが楽しくなく、翌年への熱もなかった。


無慈悲なことに次期ATリーダーと決まっている。こんな人がATリーダーなんてやってはいけないのはわかっていた。そんな中でも勝手に時間は進み、ATリーダーとしての仕事が始まっていった。みんなにはちゃんとやれ、壁に行けというのに行っていない自分が本当に嫌いだった。


また、それと同時にコーチの選出をしないといけなかった。何人かの選手は素直に承諾してくれた。ただ、ボーダーにいた2人。そのうち1人を出さなければならなかった。心が苦しかった。


彼らに話を聞くと、

俺は来年もプレーヤーをするよ!

みんなと一緒にプレーしたいもん。

なんてことを言ったり、

おれ必要やろ?なんて違う角度からプレッシャーをかけてくる奴もいた。


それを聞いていると余計に思う。

自分はATリーダーをすべきではないと。


だから自分がコーチをしようと思った。正直技量より熱量がなければ日本一なんて目指せるものではない。あれだけプレーをしたがっている彼らがプレーをし、ぼくがコーチをする。それが最善な気がした。


そんなことを考え出すと、自分自身がコーチをするメリットまで見えてくる。Aのコーチならば、嫌われ役に徹することができる。プレーをしない分、多少無茶で自分が選手なら心が折れそうなことも強く言える。間違いなく組織を強くできると思った。


でもそんなこと誰にも言えなかった。誰もぼくがそんなことを考えているなんて知らなかったし、ATリーダーになるはずの選手が辞めてコーチになるなんて聞いたことがない。


MFリーダーの島田にだけプレーヤーをやめてコーチをやるか迷っていることを打ち明けた。彼は性格上どちらとも言わなかったが、井田からのパスがないとあんまり点取れないなんてことは言ってくれた。


それから少し時間が経ってからよしとに電話をかけた。彼とはラクロスではなぜか息が合う。そんな彼に俺と一緒にプレーしたいかと聞いた。「お前とが1番一緒にしたい。」「お前がいないとおもしろくないし、点が取れない」彼もそんなことを言った。ここでやっと決心がついた。彼らのためにラクロスをしようと。ぼくが初めて横のつながりを大切にした時だったかも知れない。


ここからは就職活動と並行にATリーダーをしていくことになった。しかしこれが自分にとってはかなり難しいことだった。

そもそも、2つのことを同時にはできない性格である上に、睡眠時間が取れないと身体も頭も動かないというわがままな人間である。そこに、プレーヤーとしての壁やトレーニングに加え、ATリーダーとしての毎日のメンバー決めやメニューの提示、練習内での意識点など、そして就職活動、というのに限界が来て、最悪の出来事が起きる。


2度の遅刻。


信じられなかった。

自分自身へのチームからの信頼はどん底まで行った。僕はそもそも素行が悪いような人間は嫌いで、そういった人はあまりAに入れなかったりする。そんな人が遅刻。2度も。全てを失った。自分自身だけでなく幹部や4回生の後輩からの信頼も。本当に申し訳なかった。


そこで、僕に対してどう対処するかのミーティングがあった。トップリーグ前だったため、試合の出場停止も覚悟していたがこのチームの結論は違った。


圭哉が一番すべきことは、ATリーダーとしてチームを勝たせること。だから、むしろトップリーグに出て結果を出すことのほうがチームにとって有益である。


という結論になった。

だからこそ、もうやるしかなかった。それからは、ラクロスに全力を注いだ。正直、就職活動は少しおろそかにしていたと思う。崖っぷちのギャンブル就活をしてなんとかことなきを得つつ、ラクロスばかりしていた。するしかなかった。

神戸戦の試合終了間際の同点ゴールはそのおかげもあったと思う。普段ならあのシーンはパスを選択していたように思う。でも、自分がチームを勝たせるために、ゴールを無意識に選んだのだと思う。


結果的にはトップリーグ優勝、プレシーズンマッチ勝利を納め、チームとしての流れはとても良かったし、年の初めにリーダー陣で決めた年間のプラン通りのチーム運びができていた。


しかし狂い始めたのはここから。


ここからもう一度チームを作り直すという予定であったが、プレシーズンマッチで僕は熱中症になってしまった。でも新しく取り組みたいことがある。とてつもない頭痛はあるが、熱はない。だから練習に行った。でも、行かない方が良かったかもしれない。力を入れていた試合が終わりチームとして気が抜けるタイミングで、いつもチームを締める立場の人間が、ほとんど動けていない。覇気がない。そんな中で練習してもゆるい雰囲気になる。でもその時の僕は、自分が行かないともっと緩くなると思った。そのまま1週間、熱量のこもっていない練習が続いた。頭痛で練習に参加できない日もあった。それでも、見に行って指示だけは飛ばした。


その週末ACLと練習試合があった。まだ体調は万全ではなかったが、なんとか身体を動かしていた。ただ、アップの空気が終わっていた。信じられない緩さでとても今から試合をするようには思えなかった。そこで一度全員を集めた。このままでは必ず負ける。締めなおせと。でも、1週間そんな練習をしてきたチームに締めなおせといってもさほど変わらなかった。そして負けた。やってしまった。自分自身の体調の管理が足りず負けさせてしまった。


そこからは、自分自身も締め直し、チームも締め直し、リーグ戦に向けての準備を進めていった。練習試合も勝ちが続きいい流れができていった。開幕戦のビッグゲームに当たっているということもあってみんなの雰囲気もよくなっていった。


開幕戦。想定外の大勝。終始いいゲーム運びだった。それと同時に不安にも変わった。この試合を見ている相手チームは気を引き締める。それに対して僕たちは自信が慢心に変わるのではないかと。でも、そこから先の2戦は強敵との試合であったためある程度の緊張感を保ち続けていたように思う。


しかし、神戸戦は暑さのWBGT指数で試合がなくなるのではないかというような空気感や、同志社では豪雨と雷で3Qで試合が中断になった時にこのまま試合成立するのではないかというような空気が流れた。僕はとにかく「試合があると思っておけ」と呼びかけた。特に同志社戦は、中断になった時から全員に言って回った。絶対にあるし、中断明けは流れが変わりやすいと。でもほとんどの人の目は死んでいた。どうせないだろう。またなんか言ってる。そんな顔に見えた。その時察した。この試合の4Qがあったら負けだと。そして負けた。


正直もうできることはなかった。僕の声が広告かのように無視できるようになっていた。


同じことを感じている人がもう一人だけいた。藤田括だ。


同志社戦の翌日二人でドライブをしながら、どうしたら僕らの声が届くのかと悩んだ。


僕達ばかりが発言しているからなれてしまっている。他の同期や試合に出ている中心選手がもっと自分から発言してほしい。というのはあったが、この学年は1年の時から括と僕(とひろき)が引っ張ってきたチームだった。学年のミーティングでも発言しない人が多い。そんなチームだった。だから今更チームを引っ張る意識を持ってくれというっても遅かったのだ。1度、後輩へのアドバイスや引っ張る意識を持って欲しいとも言ったが結局ほとんど変わらなかったし、その発言すら覚えている人も少ないのではないだろうか。



それができなかった原因は何か。

もちろん引っ張る意識の問題もあるがそれよりも大切な原因があると思う。



「他人に教えれるほど上手くない。」



これの考えを持ってる人があまりにも多すぎる。この考えが今の関学ラクロスにある最も悪い空気なのではないだろうか。俺に聞くより誰かに聞いた方がいいよ、なんてのもよく聞こえる。違う。間違っていても一緒に考え、一緒に自分たちなりの答えを出してみることが大切なのだ。僕は2個上の先輩にまで口出ししていた。今思えばなんて生意気な後輩なんだと思うが、でもそれが今の自分につながっていることは間違いない。それを経ていたら次聞かれた時に、僕はこう考えていると言える。そういう循環がないことが、技術面でもいい循環が起きていないし、後輩とのコミュニケーションも減っているのだ。



ここが今年変えられなかった大切なこと。



また、人数がいるにも関わらず応援が小さすぎるという課題もあった。これも後輩との関わり方の問題であると考えた。それ以降、僕はBチームや1回生への関わりを増やした。特に合宿では、みんなが遊んだり雑談している中、1回生のOFミーティングに参加したり、2回生とひたすらにその日のビデオを見たりした。正直合宿での雑談はご飯の時ぐらいだったのではないかと思うぐらいにそんなことばかりしていた。少しは応援したい人になれたのではないかなと思っている。

上に書いたいい循環を出来ていたらもっと応援される人が必然的に増えたんじゃないかとも思う。



少し自分の話をする。


同志社戦の敗戦後からATリーダーとしてすべきことが、自分のプレーでチームを勝たせることではなく、自分がいなくても勝てるチームを作らないといけないと思った。練習中も1on1以外の練習は極力ボールを持たず、周りが上手くなるように。6on6も定期的に抜けることで自分以外の練習に充てるようになった。でもそんなことをしてると、やっぱり単純に下手になるし、ボールが手につかなくなる。リーグ戦の最後の2試合での得点の少なさはその結果だと思う。でも周りのみんなが点をとっていたからそれでいいと思っていた。


でもやっぱり単純に楽しくなかった。指示や指導の比重が大きくなる。でもそれを真剣に聞いてくれる人は少ない。でも自分がボールを持ちすぎると周りの練習にならない。正直精神的にもかなりしんどかった。


今考えるとかなり疲弊していたように思う。

いつからだろう。

毎朝熱を測るようになったのは。

ノルマのためにジムに行くようになったのは。

行ったという事実が欲しくて壁に行くようになったのは。


そんな日々だった。


話を戻す。


そこからのリーグ戦は、負けたら終わりの崖っぷちの中、なんとか3戦3勝してファイナル3への出場を決めた。チームは勝っていたが、別に特別空気がよくなった訳ではなかった。


ファイナル3へ向けての練習もしていたがやっぱり僕の望む開幕戦前のような空気感ではなかったしそこに持ってくこともできなかった。日本一や同志社という言葉に比べて、多すぎる引退という言葉。そういうところも違和感しかなかった。


そしてファイナル前日の練習をしている時に思った。

同志社はもっといい雰囲気で練習しているのだろうな、と。

でもその時の僕にはそれを伝えるという判断はなかった。彼らにそれを伝えた時の顔も空気もわかるからだ。ACLの時も雨の同志社戦も、伝わらなかったし変えることもできなかった。だから伝えることすら諦めてしまった。


そんな中でファイナル3当日を迎えた。


こんなに言っておいて結局何もできていないのは自分自身であることが明確に表れる試合になる。


僕は毎試合、開始の笛が鳴るまで吐きそうなほどに緊張してる。でもこの日はそれがなかった。僕はそれを、緊張しているもう一つ上の段階なのだと思っていた。でも実際は真逆だったように思う。ただただラクロスを楽しくするつもりの人でしかなかったのだ。


この試合、僕はシャットだった。しかし、記憶にあるだけで5ターンオーバー。ほとんどボールを持たなかった選手の叩き出すスタッツではない。どころか、普通にしていてもあまりならない記録である。集中した記憶があるのはラスト2プレーだけだったように思う。もちろん集中しているつもりだった。でもいつしか自分も目が死んでいたのだと思う。


ラストの2プレーは僕の裏ワンだった。今シーズン最も効率よく得点を生み出したOFだったと思う。あのよしとへのパスは何回投げてきたか。でも外れた。最後のプレー。橋本、ひろき、括のクロスアップが目に入った。この場面は誰を信用する?と心の声が聞こえた。正直即決で括だった。でも、一番わかりやすい解答でしかなかった。結果パスカットをされ、試合が終わった。


あのパスを通していれば彼なら多分決めている。今シーズン彼と引っ張ってきたチームに欠けていたのは、僕の最後の1歩。このチームを、そして括を引退させてしまったこと、応援してくれていた人には本当に申し訳なく思った。


その最後の1歩足りなかった原因は同期の力。僕が3年間平然と見捨ててきた彼らの力。彼らともっと対等に要求し合える関係性があれば僕のこの疲弊はなかった。最後まで気付けなかった。



試合が終わった日。学年のみんなで飲みに行った。

ある程度お酒が入った頃、彼らは口々にこれまでの僕の悪態について騒ぎ始めた。

その日の試合のこと。遅刻のこと。それ意外にもたくさん。


FOの北井くんには、今日の試合お前シャットされてて立ってただけやん。僕でも出来たわ。なんて言われる始末。笑


でも僕は嬉しかった。最後の最後にちゃんと同期になれた気がした。

普段、僕は強く要求するから言った分だけ返ってくると思って言えなかったのだろう。どこかで気を使われていたのだろう。そんなことを考えながら、彼らから流れるように出てくる批評を受け止め、心が温まった。

そんなみんなが同期でよかった。ありがとう。



これが孤独な嫌われ役のATリーダーの1年。




そしてこのブログを通して伝えたいこと。


みんなの小さな嫌われる勇気が、人を助け、チームを強くする。


後輩への指導。これはプレーのことだけではない。GSや備品、トレーニングなどの指導は決して幹部やリーダーだけがするものではない。1回生同士、1つ上の先輩、誰でもいい。なんの役職でもない人が言えるチームが強くなる。言った分だけ自分もやらなくてはいけなくなる。そうやって相互的に組織として強くなってほしい。


そしてもう1つ


要求しろ。


1つ目に似る部分はあるが、とにかく考えていることを伝えろ。1回の2on2でも合わなかったのならどうしたかったかを伝えるべきだ。どちらかの意見の方がいい時もあるし、どちらも正解の時だってある。その時は、お互いの発想を認識しておけばいい。そのコミュニケーションの少なさの原因は、途中でも言ったが、他人に教えるほど上手くない。というものだ。要求なんでするだけタダ。立場なんて関係ない。プレーを例に挙げたが、それだけではない。コート外のことも。一緒にビデオを見てほしい。単純に何考えているか知りたいから飲みやご飯に行きたい。そんなことでもいい。とにかく要求しろ。それが成長には不可欠である。



引退してから、

後輩からの連絡が増えた。こういうことをしようと思っている、という様な内容。

また、練習に行った日。少し気になって2on2の説明をした。みんなの目が生きていた。それどころか、説明が終わると、ありがとうございますとまで言われた。


そういうところなんじゃないかな。

その今の上手くなりたい、強くなりたい、勝ちたいという想いと

主将をはじめとする幹部陣にもその感謝を持ち続けられればいいチームになると思う。


そうやってみんなでチームを作ってください。応援してます。




ここからたくさんの人への感謝を伝えるつもりでしたが、少し書きすぎたので家族にだけ。

みんなには順番にLINE送りますね。


いつも支えてくれてありがとう。

特にこの4年間での1番の出来事は一人暮らしをしたいというワガママだった様に思います。そんなことまで許してもらい、ろくに連絡もしない僕にも関わらず、欠かさず試合は観にきてくれました。たまにチームのビデオにまで入る声量での指摘は少し恥ずかしかったけど本当に嬉しかったです。また、実家のありがたさや、帰る方向が同じになった同期たちとの練習後の昼食、夜遅すぎるジムやランニングなど、僕の人生にとって大切な経験ができたと思います。要求してよかったし応えてくれてありがとう。これからも、まだまだわがままな人間かもしれないけど、少しずつでも恩返しできたらなと思ってます。

姉はスペインで良くも悪くも大暴れしていたから心配は必要なさそうでしたよ笑



これで僕のブログは終わりです。ここまで読んでくれた人、本当にありがとう。少しでも伝わると僕は嬉しいです。



次にブログを回すのは、副将#10井上祐己くんです。彼は僕が高校1年の時に最初に嫌いになった人です。その理由は単純で、出席番号が1つ後ろの彼がすごくうるさかったからです。なんてことをここに書いたところで何も気まずくならないぐらいの仲良しです。高校のサッカー部でも一緒で毎朝一緒に登校していました。僕がラクロス部に入ることを確定したのも彼がいたからです。体育会に入ることは決めていましたが、何部かをまだ悩んでいて、ラクロス部かな、、とやんわり思っていました。するとある日の下校中に、俺ラクロス部入ろうと思うねん!っと言い出し驚きました。僕が悩んでいるなんて言ったことがなかったのにラクロスと言われてもうその気になりました。その場にいた島田が知らぬ間に入部の意思が固まっていたのはまた別の話です。笑

また、社会人でも続けようと思っているようで、また同じ道を歩むかもしれません笑


彼は高校サッカー部時代、対外試合ノーゴールという伝説を持っています。しかも攻撃の選手だったのに。。しかしラクロスではシュート1本で試合に出続けた男です。にも関わらずパスがずれると決めてくれないので彼へのパスは試合中誰よりも気をつかっていました。これからも一緒に続けるなら優しいパスを送り込み続けたいと思います。


また、彼は恋愛にはめっぽう弱く彼の恋愛話には笑いが絶えません。気になる人は聞いてみてください。また、僕にブログを回してくれたまりちゃんと結婚すると1年の頃から言い続けています。プロポーズはいつなんでしょうか。君たちの結婚式が僕たちの同窓会になりそうなので早めにお願いしますね笑


では、そんな彼のユーモア溢れるブログに期待してください!

んじゃひろきよろしくー

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