一生に刻む一瞬を追いかけて-4回生 AS 福田京太郎-
- kg lacrosse
- 16 分前
- 読了時間: 15分
平素よりお世話になっております。
まず初めに日頃より応援をしてくださるOBG、保護者、関係者の皆様、いつも多大なるご声援、ご声援誠にありがとうございます。
郁子から紹介に預かりました、4回生ASの福田京太郎と申します。まずはブログを回してくれた、いくこの紹介をしたいと思います。
郁子は一言で言うと、なんでも出来ちゃう系女子です。天真爛漫な子なのかと思えば、集団をまとめるのも上手で、仕事もかなり出来るタイプです。
また男子顔負けの度胸もあり、一発ギャグなんかもしちゃいます。合宿の時にしてくれた一発ギャグは、本当にもう最高でした!
またTRとしても活躍しており、私自身もかなり助けられました。1年の頃はリハビリによく付き合ってもらったり、去年から今年にかけては統計を手伝ってもらったりと。4年間を通してホントに大活躍だったと思います。
紹介はこの辺にしておいて、本題に入りたいと思います。拙い文章ですが、最後までお付き合い頂けると幸いです。
なぜ最後までラクロス部にしがみついたのか。
そこを中心にお話出来ればと思います。
⚠︎︎すごく長くなっております⚠︎︎
一度きり────。
これは私が生きる中でよく意識していること。
歳を重ねるごとに「人生は一度きり」という実感が強くなっていく。
「もっと頑張れた。やり直したい。」
「あの頃に戻りたいな 。」
このようなことは何度も思ったことがあるが、戻れた経験はない。どれだけ願っても、決して戻ることは出来ない。
そんな経験をした事がある人は多いのではないでしょうか?
この時に初めて「限られた時間の尊さ」や、「一度きりという儚さ」を痛感する。
多くの人が何度も経験し、そして何度も同じことを繰り返す。
「全力を出し切らないと後悔する。」
「途中で諦めたら後悔する。」
「ここで勇気を出さないと後悔する。」
こんなことは誰しもが分かっているのに、いつも気づくのは終わったあと。頭では分かっていても、心や身体が追いつかないまま終わってしまう。
人間とは不思議な生き物だなと思う。
日々が、人生が、後悔の連続である。
たとえどれだけ全力を出し切っても、後悔するのかもしれない。
どれだけ勇気を振り絞っても、後悔するのかもしれない。
しかしながら納得する人生を歩めないのかと言われると、そんな事は無いと思う。
だからこそ、納得のいく日々を歩むためにも、一瞬一瞬を全力で生きるしかない。
一つ一つの決断や選択に誇りを持ち、全力で挑み続ける他ない。
私たちが「後悔という感情」に抗うには、そのようにするしか無いのかもしれない。
そんな中で、一度きりの学生時代を賭けて私が目指しているもの。
それが「日本一」である。
馬鹿というほど諦めが悪く、ここまで足掻いてきた。
高校の頃から目指しており、かれこれ7年にもなる。
その過程では応援してくれる人も居たが、それ以上に、
「無理だ。」「馬鹿げている。」
などと言われ続けた。
正直、自分でも馬鹿げているなと思ったことは何度もあるし、本当に日本一なんて獲れるものなのかと疑問に思う時期も当然あった。
それでも諦めず追いかけ続けているのは、
「日本一になった瞬間の景色や感情」を想像する度にワクワクが止まらなかったから。
心躍る道を信じて追いかけたかったから。
認めて欲しい人が居たから。
綺麗に言うとこんな感じ。
しかし、ただ単に後悔するのが怖かった。今思い返すと、ただそれだけだったのかもしれない。
後悔する瞬間を先延ばしにしているだけだったのかもしれない。
それでも良い。
納得いく人生を歩むために、私はスポーツを何度か乗り換えてまで「日本一」を追い続けた。
最終的には、選手を辞めてまで追い続けた。
とは言いつつも、過去には嫌というほど後悔してきている。
「○○すれば良かった。」
「〇〇しなければ良かった。」
様々な場面で数え切れないほど後悔はしてきた。
だからこそ、「日本一」という自分史上最も大きな目標だけは、諦めたくなかった。
自分から「日本一」という目標を取り除いたら何が残るのだろうか。怠惰な人間になるだけじゃないのか。そのような思いにも駆られながら、頑張り続けた。
そんなこんなで中高時代を過ごし、大学に入学した──。
そして「日本一」に挑戦する最後の環境として選んだのが、ラクロス部だった。
選んだ理由は、当時の先輩方から異常なほどの「覚悟」を1回生ながら感じることが出来たから。
こんなにも貪欲に、そして全力で「日本一」を目指している組織に出会ったのは初めてだった。
この組織であれば、目標を達成できるかもしれないと感じた。
そこに賭けてみたくなった。
そして始まったラクロス人生。
当初は、選手として活躍する未来しか描いてなかった。
選手として日本一を獲るつもりだった。
しかし、そのビジョンは瞬く間に崩れ去った。
一回生の初夏。
怪我をした───。
高校までの度重なるオーバーワークで、腰や肩など、色々なところに爆弾を抱えていた。
案の定、それが爆発した。
当時1回生コーチの相田さんやつぼちんさん、同期からの励ましの言葉のおかげで、自分の心はなんとかラクロスに繋ぎ止められていた。
しかし正直なところは、辞めようかなとずっと迷っていた。
いや、凄く辞めたかった。
「まだ1回生だ。今ならまだやり直しがきく。この身体でもまだ輝けるスポーツは他にあるんじゃないか?」
そう思う日も少なくなかった。
それからというもの、一回生の間は練習を傍から見るだけ。少しばかりスタッフの手伝い等はしていたが、存在価値は無かっただろう。
同期が週7で壁をしている中、私は週7でラントレをしていた。5kmや10km。20km走る日もあった。
どんな日もラントレだけは欠かさなかった。
「これじゃあ、陸上部に逆戻りじゃないか。」
そう思う日もあった。(高校は陸上部)
他にも、可能な限りの筋トレなど、自分なりに復帰に向けて出来ることはしていた。
──がしかし、そこに感情は無かった。
途中からはラクロスの為というより、「今日も決め事を遂行した」という満足感を得るために、全力を出していたような気がする。
ラクロスに対する情熱はゼロ。
マイナスまで到達していたかもしれない。
そんな感じのよく分からない時期が、ダラダラと1年ほど続いてしまった。
周りからすると、
「いつ辞めるのだろうか。」
「早く辞めた方が楽なんじゃないか。」
振り返ると、そんな風に思われていたのかなと考えてしまう。
私自身でも、何してるんだろうなと。
辞めた方が有意義な大学生活を送れていたのかな、と考える日は長く続いた。
大学といえば、よく言われるのが
「人生の夏休み」
それほどに自由な時間がある。
難関資格に挑戦したり、世界一周など、ロマン溢れることにも挑戦できる「時間」が大学生にはある。
それでもラクロス部にしがみついたのは、やはり「日本一」を目指したかったからなのかなと。
自分を裏切りたくなかった。
無理だと諦めたくなかった。
後悔したくなかった。
周りを見返したかった。
ただそれだけだった。
自分にとっては、何よりも「日本一」を取ることの方が大きな価値を感じていた。
資格も旅行も、大人になってからでも出来る。しかし本気で「日本一」に向き合える、そんな環境は大学で最後なんじゃないか?
そう考える度に、ラクロス部で日本一を目指そうと思えた。どんな形であれ最後まで足掻いてやろうと思えた。
そうこうしている間に、2回生でのシーズンもあっという間に終わってしまった。
それと同時に新チーム始動。
チーム中杉が始まった───。
私自身、この年に大きく変われたのかなと思っている。
歩遠さんをはじめとして、この代には本当に感謝している。
怪我をして以来、組織の中で初めて明確な役割を担うことができた。
AS班の再建───。
選手としてもスタッフとしても中途半端だった状況から脱却することができた。
やっと自分にも「使命」が与えられた。
これからは「勝利」に、そして「日本一」に貢献できるという事実が、この上なく嬉しかった。
ここが私にとって、ラクロス人生のスタートと言っても過言では無い。
ラクロスという思い出を後悔で終わらせない為にも、全力で役割を全うしてやろうと思った。
そして本格的にASとしての活動が始まっていった。
最初は苦難の連続だった。何も分からない。何をしたらいいのか分からない。
どうすれば「勝利」に繋げられるのか。
半年ほどは模索の日々だった。
稜くんや悠馬さんと手分けして他大学のASや、もりまささん(伝説級のAS)に掛け合うなどして色々学んだ。
またスポーツ分析学を学んだり、班内で分析について繰り返し話し合いなどをした。
チームとは別行動になることが多かった。
ASだけ別の場所で集まっては、ひたすら分析をしたり、話し合いをしたり。時には、1人で家で作業したり。
部活という感覚が薄れていく───。
せっかく役割を貰えたのに、何の役にも立ててない。
自分は何をしているのか。
またそう思う日々が続いた。
その気持ちを誤魔化すためにも、ひたすらに分析し続けた。
来る日も来る日も、オフの日とか関係なく、稜くん達と分析し続けた。
そうこうして、やっとの思いで基盤ができたのが夏のリーグ戦直前だった気がする。
小さな、凄く小さな基盤だった。
この半年間は本当に疲れた。暇があれば分析について考える癖まで付いていた。
全力だった。けど楽しかった。
ここにきてやっと全力になれた。
自分なりにやれることはやった。
リーグ戦後半では、選手からも「あんなデータが欲しい。こんなデータが欲しい。」と、かなり頼られるようになった。
少しづつではあるが、やってきたことが実を結び始めているのかと思えた。
このまま「日本一」まで──。
そう思った矢先の出来事だった。
──ファイナル決勝で負けてしまった。
終わりはいつも突然だ。
リーグ戦開幕直前の3回生ブログで、
「めちゃくちゃ面白い展開。漫画のような逆転劇を見せよう。ラクロス界の主人公になろう。」
こんな事を書いたが、やはり現実はそんなに甘くないなと。
そして何度目かも分からない後悔をした。
「もっとあんな分析ができたんじゃないか。こんな分析ができたんじゃないか。」
ラクロスの試合で負けて、初めて泣いた。
1・2回生の時もファイナルで負けたし、他にも色んな試合でチームが負ける姿を見てきたのに泣けなかった。
3回生の終わりにして、初めて悔しいと思えた。
ラクロス部に対して、やっと本気になれていたからなのかな。
自分はいつも遅い。本気を出すのが遅い。
高校の時も部活の顧問から、こう言われた。
「お前は本気を出すのが遅い。もっと早くから本気で練習していたら、もっと上に行けたはずだ。」
自分では肝に銘じているつもりだった。
'つもり'だった───。
しかし、実際には何も学んでいなかった。
高校卒業からというもの、大学受験でも少なからず後悔をし、大学生活でも後悔している。
それは毎度おなじみ、本気を出すのが遅かったから。
結局は、その癖が3回生のシーズンでも出てしまった。
「勝利」に貢献できる立場にあるということは、裏を返せば「敗北」にも影響する立場であるということ。
つまりファイナル決勝での敗北は、少なからず私もせいでもあった。
自分のせいで先輩たちのラクロス人生を終わらせてしまった。
そう考えると、なんとも言えない気持ちに苛まれた。
そんな感じで、やっと本気になれたシーズンもあっという間に終わった。
────────
そしていよいよ始まったラストシーズン。
今年は自分に加えて、森上・善一・ぼんぼんの4人で活動していた。
今年こそは。
という気持ちで「日本一」を目指してチームを支える。最初から全力で「日本一」だけを見据えて頑張る。
そう思っていたが、4回生として活動するのはそんなに甘くなかった。
ただひたすらに分析をするだけではなく、リーダーとして計画を立てたり、班員の管理や指導などやるべき事だらけだった。
昨年、稜くん・悠馬さん・自分の3人で作り上げてきたものを次世代に引き継ぐ。
これも日本一を目指すのと同じくらい重要だと感じた。
今までは与えられてばかりだったが、今度は自分が与えていく側になるんだと。
これの繰り返しで今のラクロス部があるんだと感じた。
天真さん・括さん・歩遠さんの代・それ以前の代、それぞれが与えてくれたものをそれぞれが引き継ぎ、次の代へ与えていく。
そしてその番が巡ってきたのだと思った。
ASについて、次世代へと与えていかなければならない。
人との繋がりや組織に属する上で大切なことは、自分が持っているものを他者に与えていくこと。何かを残して去っていくこと。そうなのかなと感じる。
これはなにも部活に限った話では無いと思う。
アルバイトでもそうだし、友達という関係、家族という関係でも大切な事だと思う。
もはや「人生の意義」がそこにあるのかもしれない。
人は何かを「得る」ことで満たされる瞬間が多いが、「与える」ことでしか得られない充足も確かにある。
それは「愛情」や「感動」、「覚悟」など。
それは言葉にはできない、心の深いところに残る感覚。
いずれ「肉体」は花のように散りゆくが、「心」や「想い」は香りのように広がり、この世界に永く残る。そんな気がする。
自分の存在が、誰かの未来の一部になっていくということ。
その積み重ねが、人と人を繋ぎ、社会を創ってきたんだと思う。
関学ラクロス部を創ってきたんだと思う。
今年のAチームは終わってしまったが、ラクロス部はこれからもずっと続いていく。だったらそこに何かを託せる。
今年も日本一にはなれなかった。
それでも、日本一に対する「想い」や「覚悟」は託すことができる。与えることができる。
それだけでも、この4年間には意味があった。そう言い切っても良いのではないだろうか。
─────────
思い返すと、あっという間の4年間だった。
ラクロスに出会ってからの時間は、決して順風満帆ではなかった。
何度も立ち止まり、何度も迷い、何度も後悔してきた。
それでも今振り返ると、あの時逃げ出さなくて良かったのかなと思う。
もしもあの時、怪我を理由に辞めていたら。
もしもあの時、諦めていたら。
今ここでこんなに清々しい気持ちでラクロス部を振り返ることはできなかったかもしれない。
「一度きり」の時間の中で、これほど本気になれていること。このチームで戦えたこと。そして、この仲間と日本一を目指せたこと。
それだけでも、意味があったのかなと思う。
ASとして過ごした日々の中で、様々なことを学び、自分が変わっていくのを感じた。与えることは、同時に自分が最も成長する瞬間でもあった。
4年間を通して学んだのは、「結果」ではなく「過程」の価値。
今までの自分は、完全に結果主義者だった。
昨年末、新チーム発足と同時に始まったミーティングで1人ずつ思いの丈を話す機会があったのだが、そこでもひたすらに、
「日本一しか興味無い。過程とかどうでもいい。全てを捨ててでも日本一を取りたい。」
そんな事しか言ってなかった。
多分、多くの人は心の中で批判してるんだろうな。そう思いつつも、素直に自分の想いを話し続けた。
今までずっと一番にこだわってきた。
入部面談でも、1回生ブログでも、3回生ブログでも、
「日本一になる」
「日本一になりたい」
こればかり語ってきた。
親にも友達にも、中高の先生にも。そして就活の面接でさえ、
「日本一を目指す」
何回言ってきただろうか。もう数え切れないほど言ってきた。
これだけの想いがあったからこそ、今年日本一になれなかったことは凄く悔しいし、全く納得もいっていない。
それでもほんの少しだけ、ほんの少しだけ「過程」の大切さを学べた気がする。
愛されるチームに───。
その一心で始まった「当たり前」の徹底。
防具を綺麗に並べる、挨拶をする、他にも小さな決まり事をひたすら徹底していく。
これだけでも、こんなにもチームは変わるものなのかと驚いた。
「過程」って意外と大事かも。
そう思えた。
そして、「自分のために」から「誰かのために」という価値観も学べた。
選手として活躍したかった──。
これは今でも思うことだが、ASとして目標に向かって努力したことは大いに意味があった。
今まで見えなかったものが、沢山見えるようになった。様々な感情や価値観を学ぶことが出来た。
ASに転向したのは、これらを学ぶための運命だったという事にしようかな。
──────
結果は残せなかった。
けれど、自分の人生において確実に何かを刻むことができた。
“勝ち負け”という単純な物差しでは測れない、深い充足を感じている。
このラクロス部で過ごした日々は、自分の人生を変えてくれた。
もしもこの先の人生で迷ったり、壁にぶつかった時が来ても、きっとこの4年間を思い出す。
あのフィールドの熱気、夜遅くまで分析した日々、悔しさで泣いた日、そして仲間の笑顔。
それら全てが、自分の背中を押してくれる気がする。
この部活で過ごした時間は、ただの青春ではなく、自分という人間の「生き方」を形づくってくれた。
このラクロス部で過ごした時間は間違いなく、
「一生に刻む一瞬だった。」
──────
長くなりましたが、最後に。
ここまで読んでくれた方々に、一つの問いかけを置いておきます。ゆっくり考えてみて下さい。
「教えて下さい。わくわくする一度きりの貴重なこの人生で、あなたは何をするのかを。」
最後まで読んで頂きありがとうございました。
次にブログを回すのはFOの有馬君です。
なんと言っても、彼はチームになくてはならない存在です。FOという偉大なポジションを4年間全うしました。ゲームの流れを大きく変えるポジションというだけでもプレッシャーが凄いのに、その上FOと言えば、その日の精神面・身体面等の状態によって結果が180°変わってしまうという繊細かつ恐ろしいポジションです。
そんな重要な役目をやり切った彼には、尊敬の念が尽きません。今年のリーグ戦では、身体を痛めながらも試合に出場し、チームを支えてくれました。また、1回生チームの頃から考えると、数え切れないほどの勝利に貢献してくれました。本当に大活躍なラクロス人生だったと思います!
苦しみながらも進み続けた4年間。ブログでは色んな想いを綴ってくれることでしょう!
それじゃあ次、有馬よろしく!








コメント