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「悔しさも笑いも、全部抱えて」-4回生 SDF #32 中井翔一-

平素よりお世話になっております。

まず初めに日頃より応援をしてくださるOBG、保護者、関係者の皆様、いつも多大なるご支援、ご声援誠にありがとうございます。


大久保から紹介に預かりました、4回生SDFの中井翔一と申します。

それではまず、ブログを回してくれたぼんぼんの紹介をしたいと思います!

ぼんぼんとは啓明学院中学から10年目の友です。けど実は中高では本当に一回も喋ったことがなく、名前だけ知っているというくらいの関係でした。でもそれを感じさせないくらいすぐに仲良くなり、本当に文武両道で、西北のパン屋で2人でテスト勉強もしたことあります。笑 覚えてる?笑真面目で努力家やけど、たまに抜けてるところもあって、そこも含めてほんまに愛されキャラ。10年経った今でもこうして一緒に頑張れてるのが嬉しいし、これからもずっと良き友として、これからも仲良くしてください!

ぼんぼんの紹介はここまでにし、ここからは私の4年間のラクロス人生を包み隠さず本音のブログを書こうと思います。拙い文章となりますが最後までお付き合いいただけると幸いです。

私は小中高とサッカーを続けており、高校サッカーを最後に、大学ではフットサルサークルに入り、いわゆる“大学生らしい生活”を送りたいと考えていました。そのため、部活引退後は特に何もせず、友達と遊ぶ日々を過ごしていました。しかし入学直前になって、「やっぱりサッカーがしたい」という気持ちが強くなり、大学4年間もサッカーに捧げようと決意しました。ところが、大学のサッカー部には入部テストとしてランニング試験があり、3回チャンスをもらったものの、すべて落ちてしまいました。合格していく仲間の背中を見送りながら、羨ましさや悔しさ、そして言葉にできない虚しさのような気持ちを抱きました。心のどこかにぽっかり穴が空いたような感覚でした。

そんなとき、その穴を埋めてくれたのが、現在のDFリーダーである黒江くんです。彼は僕がテストを離脱するずっと前にすでに離脱しており、ネットにもたれながら足を大の字に伸ばして、僕にこう言いました。

「こんなの無理でしょ」

そして、二言目に「おれっち来る?」

その瞬間、心の中で「こいつと友達になりたい!」と思いました。悔しさの中にも、不思議と笑えて、前を向けるような気がしたのを今でも覚えています。

林が入部することや(多分彼は僕が入部してくれたことを心の底から喜んだでしょう)、啓明のやつがたくさん入部することを知り、黒江をさそいラクロスの体験入部に行きました。初めてクロスを触り、相田さんにパスの投げ方を教えてもらい、ショットも教えてもらいました。絶対に1ミリのセンスも感じなかっただろうにニッコニコの笑顔で、「お前センスの塊やん、絶対うまなるわぁ〜」とよいしょされ、ほな一旦入ろかという軽い気持ちで入部を決意しました。

1回生

最初は右も左も分からない状態で、周りとの差に圧倒される毎日でした。それでも「上手くなりたい」という一心で、授業終わりや練習後に公園で壁あてを続けました。ボールが壁に当たって返ってくる音だけが響く静かな夜の公園で、少しずつ感覚を掴んでいく時間が、何よりも楽しかったのを覚えています。

気づけば、できなかったことができるようになり、チームの一員として試合にも出られるようになりました。しかし、当然のように順調な日々が続くわけではありませんでした。どれだけ壁をしても、次の日の練習では周りのみんなの成長スピードに追いつけない。努力しているはずなのに結果が出ない現実に、次第にラクロスが嫌いになっていきました。

1年の秋学期には、練習をサボるようになり、平日はゼロ、土日もどちらかは休むような生活に。朝方まで遊び歩き、みんなが部活を頑張っている間、僕は家で寝ていました。気づけば単位もわずか4つという7「廃人状態」。

その頃、チームは京都カップ、ウィンターを次々と優勝。仲間たちの輝く姿を見ながら、自分だけが取り残されていくような感覚を強く覚えました。それでも、そんな僕を見捨てずに、仲間として受け入れ続けてくれたチームには心から感謝しています。

そこから再び、壁あてや筋トレに全力で取り組むようになりました。特に心に残っているのが、新人戦「あかつき」での優勝です。チームで日本一のタイトルをつかんだあの瞬間、グラウンドの真ん中に走り出し、全力ではしゃいだ時間は今でも鮮明に覚えています。あの瞬間、「もう一度本気でラクロスと向き合おう」と心の底から思いました。2回生の自分にとって、それは人生を変える大きな転機でした。

2回生

2回生の時期は、モチベーションを保つのが難しいと多くの先輩から聞いていました。実際、「楽しくない」と話す先輩も多く見てきました。しかし、僕にとっての2回生はその真逆で、一番成長し、自信を持てた1年でした。同じポジションのライバル・水落と、毎日のように競い合いながら切磋琢磨した日々。どちらがメンバー入りできるか、互いに一歩も譲らない緊張感の中で過ごす時間は、苦しくも最高に充実していました。

1回生の頃はMDとしてプレーしていましたが、京都カップをきっかけにSDFへとコンバート。目標はトップリーグのメンバー入り。必死にAチームへ食らいつきましたが、結果は叶わず。水落がメンバーに選ばれ、彼の活躍をスタンドから見つめながら、悔しさで胸が締め付けられました。しかし、その悔しさこそが僕の原動力になりました。

「次の開幕戦では、必ず自分がメンバーに入る」

そう心に誓い、練習では特にグラウンドボールの回収にこだわり、毎回“やり切った”と胸を張れるほど本気で取り組みました。その過程で、僕は大切なことに気づきました。スポーツは、全力で楽しんでこそ上手くなれる。「本気で上手くなりたい」「この競技が楽しい」と心から思えた瞬間、プレーは驚くほど伸びていきました。

その結果、迎えた開幕戦では目標としていたメンバー入りを果たすことができました。リーグ戦では様々な試合に出場し、自分の長所をさらに伸ばすと同時に、課題を明確にすることもできました。そして、「3回生ではこの短所を克服し、チームに貢献できる選手になる」という新たな目標が生まれました。

3回生

2回生で痛感した自分の短所それは圧倒的なフィジカルの弱さでした。接点を得意とする相手選手に全く太刀打ちできず、何度も悔しい思いをしました。「もっと1on1に自信を持てる選手になりたい」その一心で、オフシーズンは食トレと筋トレに全力で取り組みました。とにかく体を大きくしようと、毎日5食食べ、スナック菓子まで口に詰め込み、結果10キロの増量に成功。課題を克服したつもりでいました。

しかし、シーズンが始まると現実は甘くありませんでした。重くなった体は思うように動かず、これまで追いつけていた相手にすら置いていかれる。強くなったはずの接点も、機動力を失った自分には意味を成しませんでした。さらに、高校時代に痛めていたヘルニアが再発。調子が上向くたびに痛みがぶり返し、自分の体が自分の足を引っ張る感覚に、何度も心が折れそうになりました。

それでも、当時のリーダー狗巻さんに「お前には即戦力として期待している」と声をかけてもらい、「この先輩たちと日本一を見たい」と強く誓いました。けれどシーズンが始まると、AチームにいたりBチームに落ちたりの繰り返し。Aチームの試合に出る機会はほとんどなく、怪我の痛みとともにラクロスへの情熱も冷めていきました。期待してくれた先輩方を裏切り続けてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

けれども、開幕戦やFinal3のメンバーに選ばれ、共に戦えたことは今でも誇りです。また、同期が中心となって挑んだBリーグでは全国準優勝を果たし、仲間と掴んだその瞬間が、この一年の何よりの救いでした。しかし同時に、この一年で自分の限界も痛感しました。

迎えた4回生の代。

「選手として続けるか、それともコーチとして支えるか」その選択に、僕は本気で悩みました。

怪我の不安、結果を出せなかった悔しさ、そして「もう一度挑戦してもまた裏切るのではないか」という怖さ。正直、選手として戻る勇気は簡単には出ませんでした。そんな時、リーダーのかいしと面談で言われた言葉が、僕の心を動かしました。

「俺はお前を信じてる。SDF、頼むぞ。」

その瞬間、どんな時も背中を押してくれた先輩たちの顔が浮かびました。「このまま逃げるように終わりたくない。」そう強く思い、もう一度、ピッチで戦う覚悟を決めました。


4回生

どれだけ考えても「なんでこうなってしまったんだろう」という言葉しか出てきません。

かいしとの面談でもう一度一緒にピッチに立って、本気で日本一を狙いに行くと決めたのに、正直トップリーグまでの記憶がほとんどありません。引き続き腰の怪我に悩まされ、さらに京都大学との練習試合では肋骨にひびが入り離脱。気づけばトップリーグが終わっていました。

怪我が明けて、関東武者で一橋大学との試合に出場したとき、自分の1on1やグラボの強度など、今までやってきたことが通用し、「ラクロスってやっぱり楽しいな」と心の底から思えました。関東でも通用するという自信にもつながり、本当に良い経験だったと感じました。

しかし、その翌日に事件が起きました。三田キャンパスのトイレのガラスを割り、さらに隠蔽しようとした自分の軽率な行動により、無期限の謹慎処分を受けました。なぜもっと考えて行動しなかったのか。なぜすぐに報告して謝罪しなかったのか。自分で自分のラストイヤーを台無しにしてしまいました。謹慎中、リーグは開幕し、結果は1-6。自分がいない中で戦う仲間の姿を見て、情けなさと悔しさでいっぱいでした。

復帰後はありがたいことに、2・3・4節でメンバーに選ばれ、Aチームとしてピッチに立つことができました。仲間と一緒に戦う時間は本当に幸せで、自分にとって大きな救いでした。しかし、その後はBに落ち、思うような結果も残せず、3回生で決意した「圧倒的な選手になって日本一に貢献する」という目標は、何一つ体現できませんでした。

それでも、この4年間で得た仲間との絆、支えてくれた人への感謝、そして何より自分の弱さと真剣に向き合えた経験は、何にも代えがたいものです。

ラクロスを通じて、努力の尊さ、仲間の大切さ、自分の未熟さを痛感しました。この4年間で得たすべてを胸に、ラクロス部での経験を活かしながら、社会にしがみついて全力で生きていこうと思います。


長々と自分のラクロス人生4年間を振り返ってきましたが、ここからは感謝を綴りたいと思います。

もうすでに長すぎて読み飽きている人もいるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。


【同期へ】

めちゃくちゃ酔いながら書いています。今日はうおき、有馬、にしけん、じゅんき、中坊、かいし、あおとと飲みに行き、4年間を振り返りました。正直、「なんで自分はラクロス部に残れていたんだろう?」と思うくらい、本当にいろんなことをやらかしてきました。それでも、時には厳しく、見捨てたら楽なはずなのに、最後には必ずチャンスをくれて、今まで通り仲良くしてくれる。そんな人思いにあふれた同期たちは、ラクロス部でしか出会えなかったかけがえのない宝物です。本当にみんな大好きです。社会人になってもずっと関わり続けたいです!飲み行きましょう!4年間、本当にありがとう。

【水落へ】

なんやかんやで、「今ラクロス本気でやってるな」「楽しいな」って感じていた時は、いつもすぐ隣にゆうじがいました。ずっとライバルで、3回生の序盤以降はなかなか一緒にプレーする機会がなかったけど、前のBリーグでウィングでハイタッチした瞬間、言葉では表せないくらい嬉しかった。まだBリーグは残ってるし、最後にまたこうして一緒にプレーできるのが本当に嬉しい。俺らなりのラクロス、最後までやり切ろうぜ。

【後輩へ】

まずは、どんな状況でもB・Cチームに受け入れてくれて本当にありがとう。僕が落ちた時は、みんながたくさんいじってくれて、それが意外と大きな支えになっていました。この経験は、各カテゴリーを転々としていた僕だからこそ得られた特権だと思っています。Aチームの後輩、Bチームの後輩、Cチームの後輩どの後輩とも仲良くなれて、本当に嬉しかった。みんな最高に可愛い、僕の大切な後輩です。いつでも飲みに誘ってください!すぐに飛んでいきます!

特に横山くん。酔っ払った僕を迎えに来てくれたり、エニタイムに行ったり、サウナ行ったり、山岡家行ったり……いろいろ本当にありがとう!最近めちゃくちゃ上手くなっていて、来年DFチームの要として活躍する“よっこん”を楽しみにしています。

「兄貴」と呼んでくれ、よく飯一緒に行く、亀山。ミーティングでよく寝るけど全てが上手い、金谷。すぐ痛がって休むけど、一番ラクロス理解度が高い井上。最近あんまり部活で見かけへんけど、なんやかんやで1番期待してる、木下。この4人が作るDFチームを本当に楽しみにしています。周平を困らせないように、頑張ってな!

最後になりますが、親(直接感謝を伝えさせてください)をはじめ、コーチ、同期、先輩、後輩など、さまざまな方々に支えられ、成長することができた4年間でした。ありがとうございました。

拙く長い文章でしたが、最後までお読み頂きありがとうございました。


次にブログを回すのは、学年1の愛されスタッフ、中野郁子さんです。

いくこは、私が一番仲がいいスタッフだと思っています(一方通行だったらすみません笑)。笑いの才能は天下一品で、この部活の中で「面白くない」と思う人はいないでしょう。いつも彼女の周りにはたくさんの人が集まっており、羨ましい限りです。さらに顔も整っていて、下品なことを言わなければ間違いなくモテるでしょう。早く一緒に飲みに行く予定も立てたいですね。社会人になっても、ぜひ仲良くしてください。それでは、いくこの天下一品の笑いセンスと、いくこらしい熱いブログを楽しみにしています。次、頼んだ〜!

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