top of page

「四年分のありがとう」-4回生 主将 吉田純基-

10/18(土)vs大阪大学

@鶴見緑地スタジアム




『3-10』




この数字が映された電光掲示板を見て、


グラウンドを見たら、天を見上げる朋幸と崩れ落ちる智大、


ベンチを見ると、大泣きしている海郎と朝亮、


いつも笑ってるスタンドの仲間や応援してくださる方の表情にも笑顔は無くて、



「ん、これで引退か?」



どうしても頭がこの情報を、この情景を理解させてくれない。



俺って引退したのかなと考えてるうちに、



遠くの方から大阪大学の喜ぶ声や歓声が聞こえてきて、



もう増えることも減ることもない『3-10』をもう一度見つめ、



「俺のラクロスが終わったんだな。」



そこで実感した。



心から何かが込み上げて来たけど、


「まだ観客挨拶があるから」


と堪えた。



観客挨拶が終わり、ダウンの時みんな泣きすぎて声を出さない中、


1番泣いていた海郎が声を出していた。


「来年やってくれそうやな」


素直にそう思ったし、こいつええ男やなと思った。



敗北の絶望と同時に来季への希望を見た。










いきなり変な始め方してすみません。笑


文章の評判が良ければ、小説家にでもなろうかなと思います。




おふざけはここまでにして、まずはご挨拶から。



今年度主将を務めました、

吉田 純基と申します。



※純喜ではありません。純基です。


先輩のブログで名前を間違えられることは多々ありましたが、4年間苦楽を共にしたはずの同期にも名前を間違えられるとは思いませんでした。

みんなのブログで感動したかったのに、名前間違えられたせいで感動しきれませんでした。


許しません。




この場をお借りして、組織を支えて下さった方々への感謝を述べさせて下さい。



保護者の皆様、OBGの皆様、阪部長、立花さん、はじめとする学校関係者の皆様、

中島監督、植地さん、杉けんさん、中塚さん、天真さん、けいやさん、たくさん、いぬさん、ともひささん、コーチの皆様、関学ラクロスに携わってくださる全ての皆様、いつも私たちの活動を支えていただき、本当にありがとうございます。


そして4年間本当にありがとうございました。


まだ全ての方からのご支援に気付けているわけではありませんが、主将として活動する中で、これまで気付くことのできなかった多くの温かい支えを実感することが出来ました。


今後も関学ラクロスへの温かいご支援とご声援をよろしくお願いいたします。



昨日の1回生のウィンターご覧になっていただけましたでしょうか。

決勝の延長で優吏が決めた左のミドルは1回生とは思えない速度で、本当に凄かったです。


彼らが今後の関学ラクロス部に新たな歴史を刻んでくれるんだろうなと本当に心強く感じました。


1回生のみんな、優勝おめでとう。

この1年間、新しいスポーツでモチベーションの浮き沈みも激しかったと思うけど、最後までやり続けた成果が出たのかなと思います。

また、今回のウィンターでは活躍できなかったメンバーも、オフシーズンの取り組み一つで大きく成長して、すぐに抜かせる差だと思うので、腐らず、周囲への感謝を忘れずに、あと3年間頑張ってくださいね。





次に、僕のことを紹介してくれたともくんこと前田知輝について紹介したいと思います。




彼との出会いは6年前に遡ります。


地元の中学から受験をして高等部に入学した僕の席の目の前に中学部上がりの彼の姿はありました。


「色んな人と話していて、なんか良い奴そうやなー。」


これが第一印象で、


彼の今の印象は、


「ど真面目頑固コビー」です。


高校1年の頃はトレーナーの村尾と3人で同じクラスで沢山の思い出がありますが、多くの方が読む可能性があるところに書ける内容ではないので、気になったら聞いて下さい。


前田は見た目はとても弱そうですが、自分の揺るがない芯を持っている強い男です。


幹部ミーティングや学年ミーティングの度に、前田と多留に突っかかられてどつき回してやろうかと何度も思っていました。


それほどに彼の心は真っ直ぐで、曲がったことが大嫌いなのが日々の言動の節々から伝わります。


僕のような捻じ曲がった人間に着いてきてくれたのが不思議なくらいです。


棘のある言葉を投げつけたり、納得のいかないことばかりだったと思うけど、1年間支えてくれて本当にありがとう。



君には感謝してもしきれません。



前田の紹介はこれくらいにして、僕のラストブログに移りましょう。


とてもとても長いラストブログになると思いますので、お時間のある時にゆっくりとお読み下さい。


※部員のみんなはちゃんと最後まで読みなさい。





天真さんのようなカリスマ性も、


括さんのような行動力も、


歩遠さんのような人の心を打つ熱い言葉も、



なにも持ち合わせない僕が



この1年間、



いやこの4年間、



どのようにラクロスに向き合い、もがき、苦しみ




『何を得られたのか』




みんなの心に響くような文章にはならないかも知れませんが、


吉田純基という人間の


短くも濃い人生の一部から


何か得られるものがあれば幸いです。








僕とラクロスの出会いはちょうど4年前。



高校の部活動を引退して、当時の副将である括さんに誘われて家の近くの公園で佳宏と3人で壁をしました。



最初はまともにボールも投げれなくて、


シュートを打ってもボールが抜けて気持ちよく振れない、


そんな中、隣でビハインドをしていた括さんを見て


「この人はマジシャンなのか」


と思いました。


自分が2年後にこうなってる姿が1ミリも想像できませんでした。



それでもラクロスに夢中になれた理由は2つあります。



1つ目は、ただ新しいものに惹かれたから。


新しく始めたものは、何もうまくいかないけど楽しくて、


久々に自分が夢中になる感覚を味わいました。


できないものが徐々にできるようになって、


毎日壁に行くのが楽しすぎて、


1回生の夏は1日12時間壁をした日もあります。


今考えるとただの変態ですね。



2つ目の理由は、隣に佳宏がいた事です。



最初の壁が括さんと佳宏

の3人では無く、



括さんと2人だったら、



僕はラクロスを始めてないと思います。




僕は高校時代バスケ部に所属していました。



そこには、佳宏、朋幸がいて、



毎日死ぬほど走って、



吐くような練習をして、


鬱病みたいになる人や


ストレスで眉毛が無くなる人(歩遠さん)までいました。



そんなハードすぎる環境で、


僕は練習についていけず、


もちろん試合なんて出れるはずもなく、


同期たちにずっと置いていかれてるような感覚で


毎日の練習が本当に嫌だったのを覚えています。


そんな中、佳宏はイケメンなくせに1年生の頃からトップチーム通称"K"に入り、


2回生の頃にはスタメンで試合に出ていました。


引退試合でも、僕がスタンドから応援する中、


コート内を駆け回り、報徳相手に大活躍していて、



「カッコいいな」


「羨ましいな」



率直にそう感じました。



僕の10歩前を



いや100歩も、1000歩も前にいて、


正直背中すら見えていませんでした。



しかし、



今、


目の前で、


そんな自分とは遠い存在だったはずの男が



壁に投げて帰ってきたボールを取れずに頭にぶつけている。



こんなチャンスを間近で見て、


ラクロスをやらない選択肢なんて無かった。


「ラクロスなら佳宏に勝てるかも知れない。」


その想いが僕を毎日毎日壁に向かわせてくれました。



こうしてラクロスに出会ってすぐに熱中し、ラクロスをする為に生まれたかのように毎日毎日ラクロスをしていました。


みんながラクロスに初めて触れたであろう体験会。


僕、佳宏、朋幸は既にパスキャくらいはできるようになっていて、


同期である魚輝に、


「じゅんきさん!」


と呼ばれ、一丁前に教えたりしていました。




そこから何度も練習を重ね、



仮入部期間が終わる頃に学年リーダーに立候補しました。



が、



ほとんど高等部出身者から猛反対を受けました。



理由は明白です。



僕という人間があまりにも危険人物過ぎたからでしょう。


下級生は過去の僕を知らないと思いますが、そのまま知らないでいて下さい。


あの中坊さんが、


「純基がやるくらいなら俺がリーダーする」


と発言するほどにヤバいやつでした。



それでも僕のラクロスに対する姿勢を見てくれて、



今は亡き塩田くんとの一騎打ちを制し、なんとか学年リーダーになりました。



学年リーダーに立候補した理由は色々ありますが、


1番大きな理由は、


当時の主将である三坂天真 (様)という漢がカッコ良すぎて、


「俺もあんな風になりたい!」


と思ったからです。


Mrパーフェクトこと三坂さんに出会わなければ、僕は主将なんて絶対にしていません。


これは断言出来ます。



それほどに天真さんとの出会いは僕の人生に衝撃と転機を与えてくれました。


ウキウキで1回生リーダーになったものの、

リーダーというのはとても大変で、



毎日誰かが備品ミスをして、



褒められたいのに天真さんに怒られ、


何をどうしていいのか全く分からなくて、


東久代の練習後のボール拾い中に、泣きながらひろきさんに相談した事もあります。



そこからみんなでミスしないようなにミーティングにミーティングを重ね、


少しずつミスは減っていきました。




そしてサマーを迎える頃には何故か僕は坊主になっていて、



毎日ただ我武者羅にラクロスをしていて、気が付くと、


あかつき杯を優勝していました。


同期みんなで笑顔で撮ったあの写真は今でも僕の宝物です。



就活の時にもあの写真は沢山使いました。




そして2回生へ、


と進みたいところですが、まずは同期と当時の1回生コーチの相田さんとつぼちんさんに謝罪をさせて下さい。


1回生の頃の僕は今以上にガキンチョで、


自分のプレーが上手くいったらニコニコしながら、メニューの列を抜かし続け、


ボールダウンされたり、シュートが外れたら、


端っこで不貞腐れてました。



そんな僕を見離さずに、向き合い続けてくれ、


夏合宿で僕がB練に入れてもらえなくて拗ねてる中、僕をB練に入れるため頑張ってくれて、


選手の誰よりも毎回の優勝を喜んでくれて、


僕の1回生コーチが相田さんとつぼちんさんで本当に良かったです。

(もちろん、じゅんぺいさんも、ざきさんも、こすけさんにも本当に感謝しています。

)


ありがとうございました。




気を取り直して、2回生。


みんなから見ると僕は2回生の頃も順風満帆なラクロッサーに見えていたかも知れません。



でも、そんなことはありません。



悔しくて悔しくて堪らなかった23シーズン。



まず最初のチーム分け、


オフに入る前から3キロを何分で走れるか、


でAに入れると当時のATリーダー兼現オフェンスコーチ兼変態ラクロス愛者であるけいやさんに公表されました。


そこで走ることが大の苦手な僕は絶望、、、




しませんでした。




「え、走るだけでA入れるなんてラッキーすぎるやん」



そう思いました。


そこからオフシーズンは朝6時に起きて走りに行って、という生活を送りました。


たまに中山シュー練で括さんに話を聞くと、


「最近は1キロ3分切ってるなー」


とか言っていて、そんな事人間出来るのかと驚愕しました。



括さんは人間じゃない、と自分に言い聞かせて、毎日走り続けました。



結果オフシーズン明けの3キロのタイムをギリギリでクリアし、Aチームのメンバーとの練習が始まります。



それは、地獄の始まりました。



まず、括さん・けいやさんのパスが速すぎて取れない問題。



シュー練の時は愛のある優しパスが飛んでくるのに、



練習に入ると豪速球が飛んできて、


取れない度にむかつきました。


ニア練では、けいやさんからのパスを受けたくなくて、ゴール裏で靴紐結ぶフリとかしてました笑



そして2つ目の問題。


自分の武器が無さすぎる問題。


1回生チームではなんとなく、11も勝てて、得点も決められる


その感覚のまま、上回生に混じると本当に何もできませんでした。


SDF陣のプッシュは強すぎるし、Lとの11は絶対1本じゃないくらい色んなところからクロスが出てくる


本当に何も通用しなかった。


毎日の練習で自分の自信が徐々に削がれていきました。



そして3つ目。



ひろきさん大好き問題。


があるのですが、


それはただ僕がひろきさんの事を大好きすぎるだけなので、今回のブログでは触れません。



※ひろきさん今でも大好きです。早く飲みに連れてって下さい。社会人になったら月一で飲みたいです。年一じゃ足りません。



そして気がつくと僕はBチームにいて、



春先の関東遠征の、補欠メンバーにも僕の名前は無かった。


もちろん朋幸は遠征メンバーに入ってたし、碇も補欠メンバーに入ってた。



「え、俺は??」



Aが関東にいった日の練習、東久代の練習で超イライラしながらラクロスしたのを今でも覚えている。



この頃から自分だけの武器を手に入れたいと思い、


右ミドルに励み始めた。



自分の目標が見つかってからは、毎日が今まで以上に楽しくて、



家の前の公園のフェンスにボールを打ちつけて、



フェンスをすり抜けたボールが、何球田んぼに入ったか分からない。


でもそんなの気にならないくらいにラクロスにのめり込んだ。



その成果が出たのか、なんなのかは分かりませんが、


トップリーグの少し前からAチームに合流し、


トップリーグでAのベンチに入れてもらえるようになった。



しかし、ここからの期間が23シーズンで一番辛かった。


ありがたい事にトップリーグのベンチに毎回入れてもらえるけど、


出場機会は0


ここからだと言い聞かせて頑張りましたが、


毎日の練習でも1秒を試合に出ない僕に無力さを感じて、


「本当に同じコートで練習してていいんだろうか」


と悩み始めた。



本当に一度も試合に出ることはなく、


チームは勝利し続け、



トップリーグも優勝し、法政との試合まで勝ち進んだ。



そして法政戦、自分以外のオフェンスメンバーが全員試合に出場し、



朋幸は得点を決める中、



一度もグラウンドに入れず、


試合終了のホイッスルが鳴り、


チームは大盛り上がり。



でも僕は、試合に勝ったのに負けた気分で、



「本当に自分は要らないんだな」


「俺がAにいるのは人数合わせの為なのかな」



そう感じた。


この試合後更衣室に向かう時にあっちゃんから


「また試合出てへんやん」


って笑いながら言われて、ほんまにこいつしばいたろかなと思った。


いつもなら同期のみんなと喋りながら一緒に帰るのに、



その日は誰とも喋らずに1人で黙々と家に直帰。


帰宅してからも悔しさが頭から離れず、無我夢中で壁をした。


悔しすぎて夜中に泣きながらけいやさんに電話した。



「僕はなんでメンバーに入ってるんですか。」







「お前がいるとチームが盛り上がるから」



こう言われて、みんなならどう感じますか?



僕はただただ嬉しかった。



"自分がベンチに入る意味"が明確になったから。



どんな形でもチームに貢献できると思ってベンチに入れてもらってるなら、絶対期待に応えないと、


そう思ってそれからの練習は今まで以上に声を出して、


とにかくチームに良い雰囲気を与えられるように頑張った


そして、そんな練習をしていると徐々にラクロスも上手くなっていき、


リーグ戦では少しずつだが、プレータイムも貰えるようになった。



そして迎えたファイナル3。


同志社大学との試合。



試合に出ることは無かったが、ベンチから死ぬほど声を出して、


間近であの試合を感じられたのは、間違いなくラクロス人生の大きな糧になったと思う。



そうして、ひろきさんと同じコートに立つという目標は達成できずに、23シーズンは幕を閉じた。




そして迎えた24シーズン。


年始の試合からつま恋までは自分でも驚くほど好調だった。


どこにどんなシュートを打っても入る。


特に右ミドルは誰にも止められる気はしなかった。


そんな好調の中迎えたトップリーグ初戦、vs大阪経済。



負けている場面での4Qのフィニッシュは全部僕のところに回ってきたのに、



1本も決めきれない。



あの試合は確実に自分のプレーでチームが負けた。



そこで改めて、"試合に出ることの楽しさ"の裏にある


"試合に出て、勝敗を担う責任"


の大きさを感じた。


良い意味でも悪い意味でも、自分の1プレーが試合の流れを大きく変え、チームの勝敗を決める。



だからこそ、練習や自主練でも1つ1つのプレーに本気で取り組む必要がある。



そこからチームは暗黒期へと突入。


関関戦、スーパーカップと今まで勝てていた相手に勝てない。


4回生の焦りを感じながらも、自分は何もしていない。



今思い返すと、絶対にもっと4回生を支えられたし、何か行動できたはずなのに、


ただ自分のプレーにしか目を向けていなかった。



いや、何かすべきだと分かっていたのに、自分のプレーに集中して、


答えの出なさそうな今のチームの課題から逃げ続けていた。



しかし、そこから4回生の地道で泥臭い日々の徹底のおかげでチームは息を吹き返した。



ヤンマースタジアムの開幕戦で同志社に勝った時は本当に嬉しかった。


僕の勝って嬉しかった試合ベスト3にランクインしている。


みんなで掴んだ勝利という言葉が本当に相応しいと思う、そんな勝利だった。


そして、大阪経済での敗戦など転けることもあったが、チームは何とかリーグ戦を1位通過。


個人としても右ミドルでしか点は取ってないけど、

リーグ戦期間として考えれば、とても調子は良かった。


ファイナル決勝。vs神戸大学。


絶対に勝てる。


そう望んで挑んだ試合だったが、結果は惜しくも敗戦。



涙を流す先輩・同期・後輩。



神戸のスピーチ中、


明日からチームをどう動かすのか、

どんなチームを作るのか、


そんな事を考えていたら涙を流す余裕なんて無かった。





あの日から僕のラストシーズンは始まった。


最強世代と言われたはずの僕たちの敗戦に続く敗戦。


どうしたらチームが勝てるのか分からなかった。


この1年間勝つことに拘ってきたはずなのに、


今年は公式戦・練習試合の通算で負け越してるんじゃ無いか思う程、暗くて先が見えなかった。


この1年間を振り返ると、本当にもがき、苦しんだシーズンだった。



僕は人に弱みを見せられるような強い人間では無いので、部員の前では虚勢を張っていたけど、


「自分が主将で良かったのか」



「主将降りた方がいいかな」



って何度も頭の中で考えた。



今でも碇が主将だったらもっと強かったのかなとか、


1回生の時のリーダーが僕じゃ無かったら今年の結果は変わってたかなとか、


もう過去に戻れる訳も無いのに考えてしまう。



主将としても選手としてもチームを勝ちに導けない自分にどんどん自信が無くなり、プレーまで消極的になってしまった。



正直ラスト1ヶ月くらいは自分の右ミドルが入るイメージが湧かなかった。


フォームすら、どんな打ち方をしたらいいのか分からなかった。



強く踏み込んで打ちたいのに、踏み込めない。


どれだけ練習しても早くならないシュート。



準硬で縦振りの練習をしていたら、さすけから


「純基さんアンダー自信ないんですか?」


と図星すぎることを言われて、ぐうの音も出なかった。


自分の一番得意で、自信のあるプレーの自信を失うことは、


自分の劣化を感じるだけでなく、


ラクロスの楽しさを失い、


成長しない毎日のシュー練にストレスさえ感じた。



膝を言い訳にするべきではないのに、


自分がこの膝のまま1年プレーする事を決めたのに、


シュー練をする度に遅くなるシュートを見ていると、


「あの時みんなにチームを任せて手術しとけば良かったな」


と何度も思った。



主将としてもチームをまとめられない、


次々と起こる不祥事、


"主将という立場"しか自分には無くて、



本当に無力だったし、ここまでチームビルディングは、組織を変えることは難しいのかと痛感した。



1回生の時に天真さんの大きな背中を見て、憧れていた"主将"は僕に務められるような仕事では無かった。



でも主将として活動したこの一年は僕の人生の中で1番価値のある一年で、


今後の人生の大きな糧となる学びと悔しさを得られた一年だった。



後悔していることは沢山ある。


もっと自主練していたら、

もっとミーティングしていたら、

あいつを引っ叩いてでも自主練に連れて来ていれば、

チームに対してもっと危機感のある声を出せていたら、



あの時は全力でやれる事を全部やっていたつもりだったけど、もっと拘れたし、もっとやれた事ばかりだった。



僕たちのラストシーズンは本当にあっという間で呆気なく終わってしまった。



それでも、この4年間で得た"学び"も沢山あった。



全部書くと大変な事になるので、2つだけ。



1つ目は、目の前に物事に全力になることの大切さ。


この4年間、他の人からしたらまだまだだと思われるかも知れないけど、


僕はとにかく全力でラクロスに取り組んだ。


壁やシュー練、筋トレ、やれると思ったことは全部やった。



それでも求めてた結果は出せなかったし、


納得のいくような結果では無かったけど、



この全力だった4年間は結果なんて関係なく、とにかく幸せだった。


この4年間の日本一を目指した過程は、どんなタイトルよりも、


"貴重で価値がある"


全力でやらないと


感じられないもの、

考えられないもの、

得られないもの、


が山ほどある。


だから、みんなもこの4年間を最高のものにする為に、



目の前の物事をとにかく全力で取り組んで欲しい。




別にそれがラクロスじゃなくても良いと僕は思う。



本当になんでもいいから、全力で何かに取り組む。



その経験は今後、他では得られないものになるし、



そういった一つ一つの経験が将来の自分を作り上げる。


食べたものから身体が作られるのと同じで、


人は過去から作られる。


今全力で頑張れない人が、社会に出て急に頑張れるようにはならない。


だから今は結果が出なくて、辛くて、苦しくても、これからの自分の為に目の前のことに全力で取り組んで下さい。




2つ目は、目の前のこと頑張るだけじゃ結果は出ないこと。


1つ目と真反対だけど、これは4年間で痛感しました。


ただ、我武者羅に頑張ることは凄いことだけど、


それで結果が出るほどスポーツの世界は甘くない。


毎日毎日、壁に行って、シュー練して、筋トレして、ミーティングして、、、


1日に沢山の事をすると、とても充実感があるし、


間違いなく成長・前進はしている。



けど、ラクロス部で日本一を目指せる期間は4年間という期間だけ。


4年間という期間の中で戦う以上、全力でやるだけでは勝てない。


全力でやるのは当たり前で、


いかに効率よく、自分に必要なことをやるのか。



全部やれるほど時間は有り余ってないし、


脳死で全部やるのは、間違いではないかも知れないけど、


確実に正解ではない。


みんなが考えずに3時間かける練習を頭を使って1時間でマスターして、


残りの時間を筋トレやリカバリーに使う、


その方が絶対に良い。


同じ時間練習しても、人によって伸び方は絶対に違う。


だから


「何時間やったから」

「何repやったから」


数字という分かりやすいもので、自分の努力を定量化して、


満足してしまうのは本当に危険。


僕自身、毎日壁・シュー練・トレーニング、、色んな事をして満足してしまっていた。


けど本当に自分にそれが必要なのか。


例えば、クロスワークはあるけど線が細い人は、


壁をするのが正解ではないし、


体は大きいし、クロスワークもあるけど、フットワークがない人が、


壁をするのも、ベンチプレスをするのも正解ではない。


自分の求める結果を出す為に、今の自分に何が必要なのか、


それを考えて、分析して、


必要な事を全力ですることに意味がある。





「L’homme est un roseau pensant」







「人間は考える葦である」




サッカー漫画のアオアシに出てきて知った言葉だ。


元々はフランスの哲学者パスカルの言葉で、


人間は自然界では風に揺れる葦(あし)のように弱い存在だが、

唯一「考える」ことができる能力を持つため、

その思考力によって偉大であり、尊厳を持つ


という意味の言葉だ。



これはラクロス以外にも当てはまる事だけど、


常に頭を使い続ける事。


これが今年の僕たちに足りなかった部分だと思う。


とにかくやれば良いって訳じゃない。


ただの葦にならないように、全ての事象に対して常に考え続けて下さい。






僕からみんなに伝えられる事はこれくらいです。



4年分のみんなへの感謝と謝罪を直接伝えるべきですが、恥ずかしいし、キャラじゃないので、ここで述べさせて下さい。




まずは部員のみんなへ。


まず部員のみんなに伝えたい事は、この1年間こんなに自分勝手で、子どもで、未熟な僕に着いて来てくれてありがとうございました。


オフ期間を短くしたり、いきなりオフの日に練習してみたり、前日に練習のグラウンドを変更したりとみんなには沢山のご迷惑をお掛けしました。


みんなに大変な思いをさせた分、日本一という結果でみんなに少しでもこのチームにいて良かったなと幸せを感じて貰いたかったけど、チームビルディングとしても結果としてもみんなを苦しめるだけ苦しめて、何も達成できませんでした。本当にごめんなさい。


来年は海郎がもっとみんなが幸せを感じられるチームを作ってくれると思います。

みんなからも海郎のことを支えてあげて下さい。




次に、同期のみんなへ


この4年間、僕に着いてきてくれて本当にありがとう。

みんなには1回生の頃から沢山迷惑をかけたし、僕に対してムカつく事が全員、数え切れないほどあったと思います。

何人も辞めていった同期がいたけど、そんな中みんなが残って最後の最後まで、一緒にラクロスができて幸せでした。


自分が点を決めた時よりも、試合に勝った時よりも、


しょーもない話をして、僕の周りにいるみんなの笑顔を見られる事が本当に幸せでした。


だから引退してからも誰かいるかなーと思って練習に足を運んでます。


同期のみんなが僕がラクロスを馬鹿みたいに頑張れる何よりの理由でした。


ラストイヤーはコーチになったみんなの顔から笑顔が減っていくのを見て、めちゃくちゃ苦しかったです。


みんなの分まで日本一を取りたかったのに、本当に不甲斐ない結果でチームを終わらせてしまってごめん。


それでもA以外のカテゴリーは過去最高以上の成績を残してくれて、本当に感謝しています。


みんなのおかげで今年のチームがただの3位のチームじゃなくて、来年への希望を感じるチームになれました。

本当にありがとう。


来週から病室にいるのでみんなでお見舞いに来てね。



本当は全員に伝えるべきですが、特に感謝を伝えたい5人に向けて言葉を綴ります。




おっと、、その前に飲み会で俺の事書けと逆指名をくれた、PDこと、飲み会番長こと甚田くんにも感謝を述べましょう。



蒼人へ


まず最初に体験会で会った頃、蒼人と優治の違いが分からなくてすみません。

本当にドッペルゲンガーっているんだって思うくらい似てたのに、今見比べれば全然似てません。


蒼人は今年1年部内で1番難しい立ち位置だったと思います。


PD(practice director)という僕たちの知らない役職が必要だと言われて、指名された時、悩みながらもやると決断してくれたことは本当に感謝してもしきれません。



見たことも聞いたこともない役職で右も左も分からない中、

とにかくAにも B・Cにも顔を出して、

色んな手を使って、

チームを盛り上げ、

チーム外の人には知られないような裏方の仕事を頑張ってくれて、


試合で負けた次の日は、盛り上げるような言葉を、


試合に勝った次の日は、チームを引き締めるような言葉を、


今年は君が居なかったら、もっと浮き沈みが激しいチームになっていたと思います。


そんな、目に見えるほど頑張っている蒼人に、


「あれやれ、これやれ」


と何でもかんでもやらせてしまったことは本当にごめん。


頼んだことは何でもやってくれる君に甘えてしまった僕がいます。


この1年間選手をしたいという気持ちを押し殺して、ずっとチームを支えて続けてくれて本当にありがとう。


蒼人は間違いなく今年のチームに必要不可欠な存在でした。





蒼人の目から涙が溢れたところで、5人へのメッセージを書きます。




まず1人目は、実咲。


実咲は今年1番僕と思想が真逆だったんじゃないかな。


僕と違って部員に対する優しさと愛があって、僕が部員から反感を買いそうな事をしようとするとすぐに止めてくれて、実咲のおかげで、部内で反乱が起こらなかったと思います。


MGリーダーとして過去一難しい年だったと思う。


去年のありささんとしおりさんが率いたスタッフ組織がめちゃくちゃ良かったというのは部員との面談でどのスタッフも言ってた。


去年がめちゃくちゃ良かったからこそ、今年は全く同じ事したらいい訳じゃないし、かといって新しい事始めて去年の方が良かったってなってもダメで。


実咲やともくんがどう感じていたのかは分からないけど、今年のスタッフ組織は選手やチームに対する影響力が去年以上にあって、スタッフ一人一人がいきいきしてるように見えたよ。


実咲自身明るくて、面白くて、あんまりネガティブな方じゃなかった思うけど、


そんないつも明るい雰囲気の実咲がネガティブになった時に相談してくれた事はめっちゃ嬉しかったよ。


俺と話してもなんも力にはなれんかったかも知れんけど、


実咲の本音とチームに対する熱い想いが聞けて、



「俺ももっと頑張らないとな」って強く思いました。


実咲からしたらダメダメの主将だったと思うけど、最後の最後まで着いてきてくれて本当にありがとう。




2人目は、佳宏。


まず、7年間ありがとう。

高校時代遠い存在やった佳宏と同じコートに立って、試合に出れた事は本当に僕の財産です。


1回生の頃から朋幸と3人でどうやったらオフェンスが強くなるか考えて、壁させたり、

ミーティングしたり、動画送らせたり、色んな事して来て、みんなから沢山ブーイングはあったけど、最後までやり切れたのは佳宏の厳しさがあったからやと思う。


特にラスト1年。

MFリーダーっていうポジションは、ATリーダーと違う難しさがあって、仕事を分業してやってもATリーダーがやったように見えてしまうし、本当に見せ方が難しいポジションだと思う。


それでもリーグ戦からMFの3回生がみんな大きく成長して、チームの戦力になれてたのは確実に佳宏のおかげだと思います。


自主練いない時電話かけたら、大阪から第三でも準硬でも荒田でもちゃんと来るし、来たら文句言わずにちゃんと練習してる姿が下級生の心を動かしてたんだと思う。


来年からも関西だし、長い付き合いになると思うから、よろしくね。


社会人バスケする時は誘ってね。




3人目は、海志。


海志とは学部も同じだし、シェアハウスだし、ラクロス部の中でも1番一緒にいる時間が長かったかな。


1回生の時は練習来ない事ばっかりだったけど、2回生でAに絡み始めてからは少しは自覚が芽生えて、来て練習休むことは減っていったね。


3回生の途中であきとサブリーダー入れ替わって、からは同期や後輩のディフェンスとずっと面談して、誰よりも仲間想いで、後輩から1番好かれてたんじゃないかな。


練習終わってから海志の家でシャワー浴びて、お昼食べて授業行くって生活を4年間ずっとさせてくれてありがとう。


俺がシャワー上がったら、海志がその日の66見て、頭抱えて叫んでるの面白かったよ。


毎日毎日ちゃんと66見て、後輩がもっと66理解できるように努力してるのを知ってたし、


リーグ期まで毎日のようにディフェンスの後輩と面談してるのも知ってた。


だからずっと文句は言ってたけど、海志の作り上げるディフェンスを信頼してたし、


こいつらなら最後はやってくれるやろなって思ってた。


京大と神戸の試合はほんまにディフェンスがめちゃくちゃ良くて、


やっと海志のしてきた今までの努力が実ったのかなってみんなよりも嬉しかった。


最後の最後まで俺はディフェンスに文句ばっかり言い続けてきたけど、全部受け止めてくれて、


全身全霊で頑張る海志の姿を見てるのが大好きでした。


本当は一緒に全学出て、もっともっとその姿を見て、俺も頑張りたかったけど、


ファイナル3で俺が決め切れるシーンを外し続けたせいで負けてしまってごめん。


みんなに文句言い続けて分が最後の最後に帰ってきたのかな。


社会人なってからも関西で飲み会開くからその時はちゃんとこっちに帰ってくるんだよ。


2月までに黒江家飲みまたしようね。


海志が僕の支えでもあり、良きライバルでした。

この4年間本当にありがとう。



4人目は大雅。


大雅とは1回生の頃から一緒に壁してて、毎日夜遅くにわざわざ自転車で来て、自転車で帰ってるのはほんまに凄いなと思ってた。


3回生頃からA二も絡むようになって、どんどん上手くなっていく大雅と11するのが好きでした。


最終的には選手ではなくて、1回生コーチになって、納得のいく形ではなかったかも知れないけど、途中で投げ出したりせずに、主務の仕事も1回生コーチの仕事もちゃんと両立して、頑張っていて尊敬してました。


三田に謝罪に行った時も大雅の対応が完璧すぎて驚かされました。


いつも1人でこれしてたんかと思うと、本当に何も手伝えず申し訳無い。


この1年間本当に沢山の事が起きて、いつ見てもパソコンで顛末書を書いてたね。

めちゃくちゃしんどいはずなのに、仕事手伝おうとしたら、大丈夫だよって言える大雅の強さは本当に凄いです。


プライベートの時間も削って、この1年間誰よりもチームの為に動いてくれて本当にありがとう。


今年の主務が大雅じゃなかったらチームは廃部になってた事でしょう。


それほど今年の仕事量は膨大だったし、それを普通にこなせてた大雅には感謝しかありません。


最近行けてないけど、早く宝塚組で温泉に行こうね。

みんな引退した事だし、釣りにも連れて行ってください。




5人目は、朋幸。


中学から合わせるともう8年目の中です。

まあ書きたい事は沢山あるけど、まずは今まで練習中、ミーティング中、数々の暴言を浴びせた事を謝罪します。ごめん。


正直ラクロスに関しては勝てるとこありません。

練習では下手くそとか言ってたけど、君が1番上手いし、うちのエースでした。


どれだけ俺のモチベーションが下がっても試合に活躍する朋幸を見てたら、負けてられないなと思って、腐らずに頑張れました。


朋幸が上手くなればなるほど、俺の自主練の量も増え、


朋幸が上手くなればなるほど、俺の暴言の数も増えました。


単なる嫉妬です。



2回生の頃から一緒にAチームにいたけど、一度も越せたと思ったことはありません。


でも同じコートに立って一緒に試合できる事が最高に楽しくて、


本当に裏フィードがボックスに飛んできた事は、片手で数えられるくらいしかないけど、


基本上にいたら他のメンバーよりも俺にパス投げてくるのが分かってて準備してたからあの足元に来るバットパスも取れました。


本当はもっと君と関学でラクロスをしたかった。


関学という名を全国に一緒に知らしめたかった。


個人的には関西No. 1のコンビだと思ってたけど、


僕は選抜も何も選ばれてなかったって事は、朋幸の金魚のフンだったみたいです。


気持ちいい思い違いさせてくれてありがとう。


僕の膝がちゃんと治れば来年からも一緒にやるつもりだけど、君は毎日言う事が変わるから本当にラクロスやるのか不安です。


もしやる事になったら毎回車で奈良まで迎えにきてね。



この4年間こんなにもラクロスに夢中になれて、


日本一という最高の夢を見られたのは、朋幸のおかげです。



君と試合に出て、試合に勝つ事が本当に幸せでした。


もう二度と2人で関学の応援を背にラクロス出来ないのかと思うと、


とても虚しくて心に穴が空いたような感覚だけど、


楽しかった最高の思い出として心に刻んでおきます。



4年間、最高の思い出をありがとう。





みんなへの感謝も伝えられたので、ここでブログを終わり、




たいところですが、母への感謝を伝えなければ、明日フライパンでどつかれるかも知れないので、



最後に母へ


この21年間、僕に沢山の愛を注ぎ続けてくれて本当にありがとう。


小さい頃からクソガキすぎて、学校に呼び出される事もよくありました。

小さい頃の記憶なので曖昧ですが、自分がやった事の悪さは理解してなかったけど、母が謝っている姿を見て、とても申し訳ない気持ちになった事は覚えています。 



高校時代、朝5時過ぎに出発する僕に合わせてお弁当を作ってくれて、


夜もどれだけ帰宅が遅くても温かいご飯を用意してくれて、


試合の度に車で送迎してくれて、


本当に返し切れないほどの愛を貰いました。


そこまでして貰ってるのに、全く試合に絡めず、

生徒指導を受けて帰ってくる、


「僕はなんて親不孝な人間なんだろう」


何度も思って虚しくなりました。


それでも母はずっとずっと、同じ愛情を持ち続けてくれました。


そして大学でラクロス部に入った時、今度こそ母に試合で活躍する姿を見せたいと強く思いました。


家でも何度も

「全学連れて行ってくれよ」


と言われ、絶対に全学に連れて行って、日本一を取ってやると思ってました。


しかし、結果は関西3位。


この結果を前にして、何よりも申し訳なかったのは、これまで支えてくれた母でした。


いつもなら負けた試合の後は家で沢山文句を言われるのですが、この日はそんな事も言われませんでした。


母を全学へ連れていく事ができなかった事がこの4年間での1番の心残りです。


今まで沢山支えてくれて本当に本当にありがとう。


返し切れないほどの恩ですが、来年からゆっくりと返していきたいと思うので長生きして下さい。


こんな母の愛情の中で育った事は、何よりも幸せでした。






この4年間で私が得られたものは、



自身の成長



かけがえのない思い出




そして、






最高の仲間です。





最後に、



この1年間、関学ラクロス部を支え続けて下さった全ての方々、本当にありがとうございました。

結果で恩返しする事は出来ませんでしたが、来年こそはチーム平尾が素晴らしい結果を見せてくれると思いますので、引き続き温かい応援をよろしくお願いいたします。




第三十七代 体育会ラクロス部男子 主将


吉田 純基

コメント


  • Instagram
  • YouTube
  • さえずり
  • Facebook
bottom of page